否定というギフト・その2

2019年2月11日

前の記事からの続きです。
ベンチャー企業に入社した私は、文字通りなんでもやった。
ソフトウェア会社に勤めていた→パソコン、得意だよね!
ということで、会社のネットワークの構築からPCの購入、社員のパソコンサポート・・
そして、顧客管理のプログラムの作成まで・・・
広報やってたんだよね!
とうことで、会社案内の作成からHPの作成、取材対応・・・
手に職つけたいっていったよね!
当時、その会社は株式の上場を目指していたのでその上場支援スタッフ(といっても私だけ)としてTさんの仕事の手伝い。
予算実績管理から、取締役会の資料、上場準備のための膨大な書類の作成・・・
上場後は投資家を相手にした広報や、海外出張・・・
目が回るような忙しさだった。
ほとんどの仕事が私にとっては未経験だったけど、ほかにわかる人もいないので自分で調べながら手探りでぶつかりながら、こなすしかなかった。
でも、私は自信を取り戻したい、何かをつかみたい、その一心で土日も惜しまず盆暮れ正月も働いた。
そして、そこの社長さんにはたくさんの否定というギフトをもらうことになる。
とにかく、この社長さん、感覚派で理論的な表現とは無縁の方だった。
私がつくった資料を確認してもらいに持っていく。
「なにこれ?ださくない?やり直し!え、理由?そんなの知らねーよ!」
「これ文字が小さくて読みにくいんだよ!やり直し!中身?そんなの読んでねーよ!」
「なんかこれ、わかんない。何言ってるのかわかんない。全然わかんない。直して!」
・・・日常茶飯事でこんなことを言われ続けた。
いろんなモノがとんできたことも叫び
もうね、泣いている暇もなく、否定のオンパレード。
前の会社と違ったのは、気持ちよく否定してくれ、泣いている暇を与えてくれなかったこと。
毎日走りながら考え、なんでダメなのか必死で考え、なんとかかんとか社長にもOKをもらえる確率をあげていった。
すると・・・
いつのまにか、社長に信頼され、いろんなことができるようになり、任されるようになった。
お給料もどんどん上がった。
そして社員20人だった会社は社員1300人の上場企業になっていた。
うーん。
やっぱり、あれこれ考えず流れの渦中でベストを尽くす。これに限るんだよなぁ。
正直、自分ががんばって作ったもの、やってきたものを否定されるのはつらい。
でも、そのつらさをぐっと乗り越えてみれば、なんでダメだったのだろう、どうすればもっとよくなるのだろうか、考えることができる。
そうすると、自分に足りないものが見えてくる。
ああ、私にはこういう視点が足りなかったのだ。だから、こういう反応なんだな。
じゃあ、こうしたらどうだろうか。
新たな挑戦ができるのだ。
今はそういう世界とは離れてしまったのと、やっぱり楽に生きたいなぁという選択をしているので、否定される局面にはほとんど出会わないけど、当時の私には、否定してくれる存在はとっても貴重だった。
私にはかなりの荒療治だったけど、この経験のおかげでいろんな視点を養うことができたのだからね。
(そして、かなり打たれ強くもなったのだ・・)
否定されるというギフト、ギフトと認識するには時間がかかったけど、すべては自分の学びにつながっている。
そして、あらゆる局面で、たくさんの人が私を助け、サポートしてくれた。
ありがたいなぁ。
そして、あの時、思い切っていろんなものを手放したからこそ、たくさんの経験というギフトがやってきたのだと改めて思う。最初の会社に留まっていたら、ここまでの経験はできなかっただろうからね。
そして、今、この会社で得たものもすべて手放すべきか迷っている。
手放してきたはずなのに、ちょっとだけ、一握りだけ離せないでいることがわかったのだ。
もう、自分が喜びを感じられない仕事は手放したい、ずっとそう思っているのに・・・
お金がからむと、実に難しいのだよね。
スピリットガイドさんにお願いして、流れにのろう。
そうしたら、きっともっともっと素敵なギフトが待っているよね。
ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございます。
何か一つでも、お役に立てることがありますように・・・黄色い花