暮らしが、祈りということ。
先日、いろいろなご縁が重なって、新しい出会いをいただいてきました。
今まで、マントラを唱えたりしたことはあったものの、
何か特定のものを読んで祈るということをしたことがなかったのです、ワタクシ。
家も無宗教で、親や誰かがお経をあげている姿もみたことがないし、
聖書も読んだことがありません。
そんななか、ちょっとそういう「読み上げる祈り」をやる機会をいただいたので、少しやってみました。
数珠ではなくて、ロザリオを使って。ロザリオって祈りを数える数珠的な役割をはたすんですよね。
なんですが・・・
なんだろうなー。その内容を全部理解しているわけではないのですが、ちょっと内容にひっかかるところがありまして。
この違和感を信頼できる友だちに相談し、わたしは、わたしなりの祈りを続けることにしました。
ヒーリングと同じで、今はもう、みんながヒーラーになれる時代。
自覚してやるかどうか、で大きく違ってきますが、祈りもそうだなと思います。
一つ一つ丁寧に、向き合って、自分ができることをやる。
自分の状態を整えて、なるべく「いまここ」に意識をおいて、最善を祈りながら行動する。
それは、派手さはないものの、何よりも大きな祈りとなるということを、今回また、あらためて思い知らされました。
今、この暮らしが自分の選択を含め、奇跡の重なりの結果なりたっていることは、ついつい忘れがちですが
いつも、感謝のきもちを忘れずに、暮らしていきたいですね。
次男がうれしそうに大好きな友だちが遊びに来る!!って楽しみにしていたので、マフィン2種類焼いてあげました。
モリンガ&レーズンと、ココア&カカオニブ。
小麦粉も、つくるのはめちゃくちゃ大変だということも、バナナやメイプルシロップもめちゃくちゃ遠くからきてくれているということも、すべて、やっぱり感謝でしかないのですよね。
自分で作物を作り始めると、こういうアタリマエがアタリマエでないことを痛感させられるのです。
というわけで、今日も丁寧に、ありがたく暮らしていきたいと思います。
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