比較と評価、そして「いま、ここ」

こういう状況下にいると、ついつい「比較」をして、「評価」をしてしまいそうになる。
被災された方々と比べてこんなに恵まれた環境でいいのだろうか
あの人はあんなに立派なことをしているのに、私はこれだけでいいの?
という気持ちから、
うちにはティッシュペーパーが一つもないけれど買いおきしなかった自分が悪いのか
みたいな小さなことまで。
でも、これって本当に何も生まない。
自分や他人を評価して、責めたりうらやましがったり哀れんだりしても、何も生まれないんだ。
小さな頃から比較して自分や他人の評価をすることが当たり前の教育を受けてきたので、そういう流れを作ろうとするのは仕方ないことなんだよね。
以前は意識してそれをやめようとしていたけれど、今は自然とその流れにのまれることなく、眺めることができた。
もう、私はこの流れから脱することができたように思う。
驚くほどフラットに、穏やかになった心の内を眺めながら
今ここにいることを感じながら、精一杯生きていくことが、被災された方々、亡くなられた方々に対する誠意なんだ
と感じる。
岐阜への「疎開」を執拗に進めてきた主人も、私の心が落ち着いた後は少し温度が下がったみたいだ。
明日は、念願の阿部さんの「いまここ塾」に参加できそうだ。