「厳格なヴィーガン」という表現について

わたくし、なんとなく、ゆるゆるっとベジな食生活をしていた時期が数年続き、意を決してと殺を見学に行って、2014年からヴィーガンライフスタイルを選択しています。

ちょうど、そのころ東京都の世田谷区から長野県の原村に移住をしたので、原村在住年数=ヴィーガンライフ年数 なんですよね。

 

もうすぐ、6年になります。

 

そのころの記事はこちら→あえてその選択をするのであれば

 

わたしの中では、ヴィーガンライフという選択は、「たばこを吸わない」と同じくらいの感覚なのですが、時に「美代子さんのような厳格なヴィーガンの方には・・・」と言われることがあるのですよね。

 

というわけで、ちょっと思うことを・・・・

 

そもそも、ヴィーガンって、「可能な限り」いのちを搾取しないライフスタイル

 

だと理解しています。(ヴィーガン協会の定義もそこらへんですね。)

 

だって、いのちをまったく奪わずに生きること自体、残念ながら不可能なのです。

 

家を建てる、車に乗る、もっともっといえば、微生物をいただく。

 

それをいちいち避けていたら、生きていくことができません。

 

また、明らかにお肉しか食べるものがない状況にある人を責めるつもりも毛頭ありません。

 

ですが、今の自分の状況で「必要ない」と判断できるいのちをわざわざ搾取する選択はしたくないというだけなんですよね。

 

工業的に作られたお肉をいただく必要があるのか。

人工的に妊娠を強要されて子牛にわたるはずだった牛乳をいただく必要があるのか

せまいところにとじこめられて生まされた卵をいただく必要があるのか

 

本当に、考え方としてはシンプルなんだけどな・・って思います。

 

ベジタリアンも本来は、食事に関して菜食、っていう意味だったように思うのですが、「魚はいいよね」とか「卵と牛乳は殺してないからいいよね」みたいに、なんとかベジタリアンみたいな種類が増えちゃってよくわかんなくなったんだろうなーと想像してたりするんですが。

 

ヴィーガンに関しても、最近、「フレキシタリアン」とかいろんな線引きがでてきて、よくわかんなくなってるのかなぁと思ったり。

 

さらに、よくわかんなくなってるのは間接的な搾取に関して、線引きの違いで争ったりすることですよね。

例えばパーム油は、それ自体植物性ではありますが、その製造過程に大きな問題があって、間接的にいのちの搾取につながっていることがわかっています。だから、パーム油をとらないヴィーガンの方は多いと思います。(わたしも、可能な限り避けています。)

 

どうぶつ実験もそうですね。人工的な成分は裏でどうぶつ実験が絡んでいることがほとんどですので、添加物に関しても間接的な搾取につながっているのですね。

 

で、その線引きをどうするか、どう判断するかはやっぱり個人の価値観に委ねられるところだと思います。

 

そこの価値観の違いで争うのは本末転倒だし、そこは本当に不毛なことだと思うのですよね。

 

って、何が言いたいかっていうと、ここはポリシーの問題なので「厳格そう」って思われるのはちょっと切ないなぁと思ったりするよねってことでした。

 

ただただ、無駄にいのちを奪うことはやめたいなって思うだけ。

タバコを吸わないのと同じような感じなのです。

 

そういう、ただただ平和を願うヴィーガンのひとだってたくさんいると思うのです。はい。