自分が生み出すものを愛せるか

おはようございます。

八ヶ岳西麓の原村で暮らす、元・スピリチュアルジプシーのMiyoです。

 

昨日は、朝から今までのことをぐわーん、とひっくり返すようなものを突きつけられてガツンとやられました。

 

ここのところ、着地点に迷っているというか、地に足がつききっていない感覚が強くて、どうにかならないもんかな・・・と思っていたのですが、タイミングよくいろんな導きがあり、やっぱりこれでいいよなと方向性を新たに確認した直後の出来事。

 

信じたくないけど、氣になる。

 

そんなときは、だいたい突きつけられている時ですよね。

 

以前、子宮外妊娠をしたときも、子宮外妊娠なんて今まで興味もなかったのにそうとわかる少し前からキーワードとして氣になって仕方なくて、そんな情報みないほうがいいんじゃない?と思いつつ、ついついいろいろ調べていました。そして数日後、腹痛が起こったときに「あ、これだ。きっとそうだ」と悲しくも理解し、早めに病院に行ったことで、破裂しないですんだのでした。

 

また、以前父が、うちに滞在していたときに指を切断しかける大けがをしたのですが、それも少し前からビジョンとしてあらわれていて、「そんなこと、考えちゃだめ」と思いつつ、氣になっていたのですが数日後、まさにビジョンでみたことが起こりました。その時は夫も出張中で通常だったらパニックになりそうなのですが、わたしは「あ、これだ。」とここでも悲しくも理解し冷静に行動できました。

 

今回も、そんな感じです。信じたくないけど、氣になる。きっとそうなんだろうなと奥底で思ってきたこと。そこをハッキリと突きつけられました。

 

あまりにも、いろんなものをひっくり返さなくてはいけないので、詳細はもうちょっと検討してからここに書けることは書こうと思いますが、結局は「自分で生み出すものを愛せているか」なんだろうなということです。

 

少し前に紹介した『百姓レボリューション」で、災害後に多くの人が入村を希望した自給自足システムを築いている村で、何ができるかスキル別に別れていくシーンがありました。その中で「ヒーラー」がやたら多くてそれも一つのシステムの問題だ、という記述がありました。

その時の、主人公(自給自足システムをいち早く築き、世界のシステムを変えようとしている人)が発する言葉で

 

こんなにたくさんのヒーラーがいること自体、おかしいと思わない?

そもそも、たった数日、もしくは数ヶ月で人をヒーリングできるようになること自体、おかしいと思わない?

人に何かを与えてもらって(アチューメントとか)それでできるようになっているって疑問をもたなかった?

 

のような内容がでてくるのです。

 

うん。確かに。とその時は思ったのですよね。

でも、わたしはこういうのって、それを扱う人のエネルギー、状態、そして日々の心がけなども影響するだろうから、結局は自分をしっかり生きていればいいんじゃないかとも思ったのです。

 

でも、なんというか、根本的に「違う」ということがあるのかもしれない。

そう、昨日の出来事をきっかけに思いを強くしています。

 

ニンゲンと虫の世界が違って、同じ地球で暮らすことはできても、一緒に暮らすことはできないように。

そもそも、「違う」ということが存在しているのではないかということ。

 

そういう違いを味わえるからこそ、地球に魅力を感じているのかもしれないなということも含め、今までの自分が持っているものに対して、もう一度見直す時期がやってきた感じです。

 

よくわかりませんね。まだまとまっていない感じではあります。

 

でも、何事もそうなのですが、結局は解決していくのは自分であり、自分が生み出すものを愛していけるからこそ、人に何かをできるようになるのであり、ワンネスなどを語れるのではないかなぁと思うのでした。

 

毎日通っている幼稚園の帰り道の風景。これは夏に近い、春かな。通い始めた頃だからもう5年前。

 

足元がおぼつかないわよねー、と心配された次男も、今ではすっかりわんぱくに・・・笑

 

ねーねー、すごいんだよ、今度の幼稚園、公園があるんだよ!と興奮して話してくれた長男。懐かしいな。

 

わたし、自分が描く絵ってあまり好きになれなかったんですよね。でも一昨年の7月くらいから、やっと飾れるようになりました。

 

今日も、自分が生みだしていくもの、料理、言葉、行動・・すべてのアウトプットを愛していこうと思います。