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優秀なセカンド

2019年2月11日

高校の頃、部活動でオーケストラをやっていた。
楽器はクラリネット。管楽器の中では比較的ソロも多いし、メロディラインも「目立つ」楽器だ。(と思っていたけど、実際はトランペットとかの金管楽器のほうが目立つんだよね。)
でも私は、ずっとずっと「セカンド」だった。
セカンドは、文字通りメインパートではない。たいてい低音で、ハーモニーを奏でないと意味がない。
私はやっぱりどこかでメインになりたくて、メインをやっていた友達をうらやんだり妬んだり、複雑な思いを抱えていたのを覚えている。
そして、メインよりもうまいことを知ってもらいたくて、がむしゃらに練習に励んだことも。
部活を卒業する時に、後輩から
Miyoさんは本当にすごい「セカンド」ですよね。メインよりもほんの少し遅れて入ってみたり、音量も絶妙で。
Miyoさんのようなセカンドはこの先なかなか現れないと思います。
のようなことを言われた。
私は本当は「Miyoさんがメインをやればいいのに」って言ってもらいたかったので甚だ不本意だったのだけど、なぜかこの言葉がずっと心に残ることになった。
その後、私はいつのまにか好んで「セカンド」の位置を歩くことになった。
仕事では、社長の参謀のような位置。
家庭では、夫や子どもを支える位置。
複数の友人と集まると、たいてい聞き役。
どこかでずっとずっとメインになりたいのに、でも、メインになることを望んでいない自分もいるのがわかる。
いざ、その「場」がまわってくると、妙に落ち着かないのだ。肩に力が入る。ちょっとした挙動不審になってしまうのだ。
先日、阿部さんのいまここ塾に出て以来、自分の心の奥底にある日だまりのような温かい安心感を感じてぐっとぶれなくなった。
でも、日々いろんな情報が入ってきて、意識的な選択を迫られると、考えることも多くなってしまう。
ましてや、「息子のために」という条件がついてくると、果たして感覚だけで判断して良いものなのか?という迷いも生じる。
そのような日々の中で、自我について自分の中で違和感を抱えていた。
いろいろ考えてしまう自我は、悪者なのか?
自我のせいで、堂々巡りしちゃうのか?
なんてね。
そして、今日ふと思ったのが、「セカンド」のこと。
ああ、もしかして私の自我は参謀、秘書的な位置づけを望んでいるのかも。
メインになりたい思いはあれど、落ち着くのはここなんだよね。
そして、私の自我は考えるのが大好き。
考えて、様々な選択肢を吟味し、結果をだすことでたくさん褒められてきたし、「賢いね」って言われたいものね。
そっか。
なら、考えさせてあげよう。
で、私自身が奥底のひかりを信じてちゃんと選択してあげよう。
そう思ったとたんに、急に「考えるの大好きな自分」が愛おしくなって、さーーーっと目の前が開けてきた。
そういえば、自我と真我を分けること自体、「分離」につながるんだよね。これだったら他人を評価したり判断したりするのと一緒だよね。
優秀な旅の仲間を得た気分でとても爽快だ。
次のドラクエ、いつでるかな・・・