子どもたちの意思の尊重と、その時はわからなくても通すことと
おはようございます。久しぶりに昨夜赤ワインを1杯だけ飲んだら、夜中におなかが痛くなったMiyoです。
ううう、酒飲みだった自分よ、いずこ・・・笑
さて、畑、田んぼの季節になり、毎週のようにどこかで作業がはいってきます。
うちは、息子たちがなんといおうと、ここは「必須」「最優先」事項なので、強制参加?です。
卓球の試合の前に、田んぼ作業をする長男。
次男も。
子ども時代、なんでこんなことやらなきゃいけないんだ・・って思いながら「やらされた」ことがたくさんあって、
もちろんその中に「やっぱりいらなかったなー」って今振り返って思うこともたくさんあるのですが、
それでも「ここはやっててよかったな」って思うところもあるのです。
わたしの母は、特になんでもやっちゃう人で、今思えばすごい人だなって思うのですが、説明も特になく、「察するべき」みたいな感じが強いので(今でもある)突然「なんでそんなこともわからないの?!!」って怒られることが多くて、子どもながらに
説明してくれなきゃ、わかんないじゃん
って思ってた記憶がまだあるのです。
なので、わたしは子どもたちにできる限り、一つ一つ説明しよう、伝えようってやってます。
それが今、全部理解されなくてもいいから。言葉にしています。
田んぼや畑をやる意味も、もちろんちゃんと伝えます。
なぜ、わたしたちがそれをやっているのか、背景から思いから。
子どもの意思をただ尊重すれば、「ゲームしたい」で終わりますね。
その時の子どもの持っている知識や選択肢、それだけで判断するから仕方ないです。
もちろん、それも大切なのですが、
親が伝えたいことは、その場はどんなに「えー」って思っても、通したいと思うのです。
ここのバランスはとても難しいですね。
うちは、食に関するところが、「通す」ことが多いかなぁ・・・
あとは、人に対する姿勢とかね。
それ以外はとってもゆるいんじゃないかなって思いますが。(本人たちはそう思ってないかも)
まあ、いずれにしても、彼らにとって畑、田んぼは「我が家では必須なんだ」という感じにはなっているので
文句も特になく、わりとげんきに参加してくれてます。
えーって言おうものなら、わたしの延々とした説明が始まるからかもな(笑)
いつか、この意味がわかってくれるといいな。
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