わたしがやってほしかったこと
お隣さんからいただいて、干し柿つくってます。
原村の山の中は、すっかり枯れ木が多くなり、冬景色になってきました。
長男と歩く朝の時間が復活して、また氣持ちよく自然と会話する時間がとれて嬉しい限りです。
1年間、学校’に行かなかった長男のことは、岐阜に住んでいる両親には伝えていました。
母は、少しショックを受けていましたが、周囲に「無理して行かなくてもいいのよ」と言ってくれるお友だちがいたようで、わたしの予想より寛容に見守ってくれていました。
それでも、また彼が学校へ行き始めたという話をすると、それはとても嬉しそうで、
特に父のほうが「よかったなぁ、よかったなぁ」と言っていたということです。
母から、
今は難しい時代だから大変だけど、Miyoもよくがんばってると思います
とメールがきたときに、わたしが最初に感じたのは
いや、時代じゃないから
というわたしの子ども時代の振り返り記憶でした。
わたしも、何度か学校に行きたくない。
でも、親にいったらすごく心配するだろうし、いろいろ言われるだろうし・・・
と、すごくがんばって行っていた時期がありました。
あのとき、わたしは「どんな風にしても、いいんだよ」と受け入れてくれる雰囲氣がほしかった。
結局、わたしは親にしてほしかったな・・・と思うことを、息子達にはできる限りしてあげたいと思うのです。
やりたいことを尊重してほしかった
選択肢は一つではないと教えてほしかった
性について、否定しないでほしかった
受験に失敗しても、大丈夫だっていってほしかった
お母さんにはもっと笑っていてほしかった
・・・
たくさんの、「~ほしかった」がわたしにはあって、
それを息子達にはやってあげたい。それだけなのです。
きっと、息子達はそれでも彼らの理解と解釈があって、
将来自分の中で、「自分はこうしてほしかったから・・・」と違う形で伝えていくのかもしれませんね。
わたしは、できることを考えつく限りの方法で、後悔のないように子ども達と接していきたい。
なので、わたしは在宅の仕事を選んだし、自由に仕事ができる環境を選んだ。
そうだったよな、とまた一つ、思い出しました。
彼らとべったり過ごせるのもほんのわずかの時間です。
嫌がられても(笑)ハグして、笑顔で話を聞いてあげたいと思います。
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