違和感の正体
普段から、違和感を覚えたらそれに誠実に向き合って、その過程を経てから決断をすることを心掛けています。
なぜなら、わたしの特徴として「頼られるとうれしくなっちゃう」がありまして、
違和感を少し持っていたとしても、せっかくのご縁だし、こうやって求められていることがうれしいしわたしが役に立てるのだったらしあわせだよなってその時は本氣で思うのです。
で、変に根性というか、正義感もあるものですから
やると決めたからには誠実に、「ちゃんと」やろうとするのです。いや、やるのです。結果もだすのです。
でも、やっているうちに最初は小さくシミのようだった違和感が
どんどん大きくなっていって、
それに伴っていろいろなことがみえてきて
利用されているような感覚だったり
消耗していく感覚を覚えるようになるのです。
それで、結局利用されていたんだな、ってことが確実にわかってしまうと(もちろん、相手も意図的ではなく、ほとんどの場合が無意識。善意ですらあるかも)ものすごくショックをうけるのです。
まあ、でも、違和感の正体はこれなんだってわかるんですけどね。
そしてそれに目をつぶって行動したわたしはある意味「確信犯」でもあるのかもしれません。
もちろん、わたしも得られるものはありますしね。
会社員時代、経営者の近くですごくすごく時間もエネルギーも注いでがんばってきたとき
会社も大きくなって、組織的になってきて、わりと目立っていたわたしをまあ、なんというか引きずりおろそうとするような動きがあったんですよね。
そのときに、経営者の人にこういう環境はいやだ、って訴えたんですよね。
そしたら、
まあ、Miyoもオンナノコだからな・・・
って言われましてね。
この一言で、結局そういう目でみられていたんだってことと、信頼っていいながらも利用のほうが大きかったんだっていうことがわかってしまったんですよね。当時のわたしはひどくショックをうけたのをまだ覚えています。
個人事業主として独立したあとも、形は違えど、同じような感じで違和感に目をつぶって行動し続けて消耗することが本当にたくさんありまして。
ここ数年、あまりなかったんですけど。久しぶりにやってしまいました。
小さな小さな違和感だったんです。それはもう、表現できない「予感」のようなものだった。
でも、やっぱり大きくなって、消耗して、ああ、これだったんだなってわかった。
今回は、おかげさまで近くにいてくれる友人のおかげでなんとか回復できたし、
わたしが本当に大切にしたい世界はこっちなんだなっていうことが明らかにくっきりと、みることができたので
まあ、いわゆる「必要な経験だったんだ」と思うことにします。
っていうことを、春分を間近にしてガツンとやられたので、ちょっと備忘録的に書いておこうかと。
かくいうわたしも、ずいぶんと勘違いしていたときがありまして
すべてお金で解決できると本氣で思っていたころもありました。両親に対してさえも、です。
キモチも結局お金でなんとかできると思っていたし、本当に傲慢だった時期があります。
人に時間を作ってもらうことを当たり前のように思っていたし、今思えば貴重な時間を奪い続けていたんだなって。
そんな自分に対して、自戒も込めて、こうやって振り返ってみています。
違和感と向き合うってやっぱり難しいですね。でも、これからは自分の大切にしたい世界をもっともっと研ぎ澄ましていきたいと思います。
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