またまた

物心ついたときから、どこか冷静な自分が嫌いだった。

みんなで盛り上がったり、泣いたりしているときも、そこに入ることができず、どこか冷めた目でみている自分・・

自分は冷たい人間なんじゃないか、と本気で悩んだこともあった。

それなりに、同情したり、共感したり、感動したり・・ってあるんだけどねぇ。
よくわかんないところで涙がでたり、感極まったりしていて、肝心の?ところではいっつも「観察者」なんだよね。

表面はいろんな感情が動いているのに、心の奥底は限りなく静かで、冷静で、じっとそれをみている・・そんな感じ。

人のことだけでなく、自分のことでも同じなんだ。

最近、ようやくこれはこれで私の個性なんだ、と思えるようになってきた矢先・・・
また、自分の冷静さに自分で驚く出来事があった。

先日、母が検査入院をする、と私に伝えてきた。
母は30年前に解離性大動脈瘤が発覚し、それ以来血圧のコントロールをしながら経過観察をしてきたそうだ。

私は・・・母が血圧の薬を飲んでいる、重いものをもってはいけない、激しい運動はだめ、というのは知っていたけれど、今回の件で初めて母の病名を知った。

かかりつけのお医者さんが、手術が必要かも、検査入院を・・と言ってきたそうで、私はそれを聞いた段階で、「あ、きっと手術になるんだ」と思った。
一方、母はまた経過観察かなーなんて気楽に話していた。

いつもなら冷静に、じゃあ結果を聞いてからだね、なんて思って過ごせるところなのだ。けれど、私はそれを聞いた日は、涙が止まらなくなったり、いつかくる母との別れを思ったりして感情が落ち着かなかった。

ああ、私はまだ、母と別れる準備はできていないんだな。
・・またまた冷静にそう思っている自分もいて・・

そして先週の金曜日、入院した母から電話があった。
どうやら、手術前提で話が進んでいたらしく、それを知った母はすっかりショックを受けていたようだ。

電話口でショックを隠しきれず、ことの成行きをまくしたてる母に私の口がこう言っていた。

「でもさ、なるようにしかならないんだからね。」

母が電話口で一瞬、息を止めるように黙った。

私はハッとしてその後は意識して優しい言葉を選び、とにかく顔をだすから、と短く電話を切った。

しまったなぁ・・・また冷静にこんな言葉を発してしまったよ・・

猛省した私は、たくさんの存在が応援しているからきっと大丈夫だから!と励ましのメールを送ったが、自分がなんであんなことを言ったのか・・理解できなかった。

そして昨日、母に会ってきた。

母は、もう心を決めたようだった。
いつ破裂するか、と怯えながら暮らすより、この機会に手術を受けてみる、と。
孫の成長も楽しみだしね、とにこやかに話してくれた。

そして最後に、

「まあ、なるようにしかならないからね。」

と私の目をまっすぐにみて、にっこり笑った。

父によると、母は手術の話を聞いた後、真っ先に私に電話をし、その言葉を聞いて心を決めて落ち着いた、ということだった。

よかった・・

受け取る側しか言葉をどうとらえるかわかんないよね、なんて言っておきながら、やっぱりこういう場面に遭遇するとドキドキしてしまう。

あれは、母のスピリットガイドさんが言わせたのだろうか。
どちらにしても、母が落ち着いてくれてよかった。

しかし、当分、バタバタしそうだなぁ。
2012年は・・やはりいろいろあるのだろうか。

とにかく、私はできることをやって、最善の状況を祈るしかない。

天に下駄を預ける、委ねる・・またまた大きな練習の機会がやってきたようだ。