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できることを

このたびの地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
さらに、少しでも早く良い方向に事態が進んでいくことを祈っています。
そして、亡くなられた皆様の魂が光に導かれますよう、願ってやみません。
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地震当日は、息子は保育園、私は立川方面で用事、主人は渋谷で仕事と家族全員バラバラだった。
普段は金曜日のゴトウ日がからむ日に車で外出する選択をすることはまずないんだけど、なんとなくその日はずっと「車で行くか」という感覚があり、車ででかけた。
この選択のおかげで、私は幸いにも早めに自宅に戻ることができ、予定時間を少し過ぎただけで息子を迎えに行くことができた。
そのほかにも、いろんな小さな幸運のおかげで、私たち家族は日付が変わる前には全員そろい、いつもと変わらない就寝をすることができたのだ。
普段からテレビをほとんど見ないんだけど、主人がずっとテレビやラジオで「最新情報」を得たがったため、いやがおうにもいろいろ目の当たりにすることになった。
こういう事態を目の前にすると
地球の次元上昇、やら
魂がきめたこと、
などの言葉がなんと虚しく感じられてしまうのだろう。
私は「なるようにしかならないし、今、私にできることは、目の前に起こることをすることなんだ」と冷静に腹を据えつつも、どこかでまだ信じられないような、夢を見ているような、ぼーっとした気持だった。
そんな中、主人はかなり初期の段階から、ずっと原発の報道を気にしていて終始ピリピリしていた。いや、今もピリピリしている。
最初は主人の言動や思考の方向は、私とは全く異なるので心から賛同できなかった。
そして、特に主人の行動に振り回される自分に疑問をもってしまったため、私もなんとなく、ピリピリしてしまった。
でも、そのうち私は主人の発言や行動を見ながら、
ああ、これが主人なりの私たち家族への愛のカタチなんだ。
と考えを新たにし、今、私ができることは主人の愛を受け入れて、安心させてあげることなんだと思った。
本当は、ボランティアとか、被災地へなんらかのカタチになるようなことをするのが常識的に「できることをする」ものだと思ってしまうのだけど、私の課題は、ここの部分みたいだ。
しっかりと現実を目を開けて見ながら、地に足をつけ、できることをしよう。
そして、せめて祈ろう。
大きな変化に立ち会えたことに感謝をしながら・・・