かすかな違和感はやがて現れる
最近、いろんなことのスピードがあがっていて、現実化のスピードもあがっているように感じます。
そして、自分が何かをするとき、言うとき、行動するときによぎる
ふっとした違和感
の現実化も早くなっているように思うのです。
わたしは誰も知り合いがいない、親戚ももちろんいない原村へ、東京から移住することを決めたとき、
これっぽっちも違和感はありませんでした。
なので、アタマで考えると結構クレイジーなのですが(笑)
心の底では安心感はあったんですよね。
それでも、最初は「友だちできるかな・・何もやることなくて暇すぎないかな・・・」とか考えたりしましたね。
違和感のない流れはやはりすごい。移住後、自然といろんな繋がりができていって、
おかげさまで、今はありがたく、いろんなことに関わらせてもらっています。
コミュニティ、という言葉が多く語られていて
その継続や運営の難しさも、これまた多く語られていますが
わたしも、小さくとも失敗というか、「やっちゃったな・・・」なことは何度もありました。
主導する立場になったとき、助けてくれる人達がいるわけです。
主導する側が物理的にいろんな負担を背負うようにみえるので、
バランス的にきついな・・と思うこともあるのですが、
そういうときこそ、助けてくれる人も、わたしも、エネルギーバランス的に最善のかたちになるよう
動かないといけないと思います。
例えば、少しでもその人達を「利用する」ような方向になにかが向いたとき、
それは何らかのカタチで、関わった人達に「違和感」として伝わっていくと思うのです。
それは、氣持ちでも、行動でも。
なので、わたしはわたしが本当に消耗しない限り、助けてくれる人達のハッピーを何よりも大切にします。
逆に、わたしが助ける側にいたとき、ふっとよぎる違和感。
利用されているかも・・という違和感。
それってやっぱり伝わってきて、じょじょに大きくなり、そこを無視しているとある日ハッキリとしたかたちであらわれます。
その違和感も大切にしないと、消耗していくと思うのです。
わたしの場合、助けてくれる人達のことを待てずに
自分でやったほうが早いから
という理由で、その人達のことを考えずやってしまう、という失敗。
そして、もう一つは違和感を無視して過剰に助けてしまい消耗する、という失敗。
この2つがだいたいのパターンです。
わかっているのに、なかなか修正できなかったこの2つのパターンを、
やっと抜け出す時がきたようです。
自分の癖がでそうになったとき、ぐっととどまって、
自分を含めてみんなのしあわせの方向って何?
と問うことで、大きな愛としあわせにあふれる未来を描くようにしています。
今まで一人でやってきたり、消耗していた時期よりも、今の方が格段にしあわせなのです♪
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