いいこぶりっこ
先日の秋山峰男さんの個人セッションは、後からじわじわとありがたさが実感できる、すべてが贈り物でタカラモノのような時間でした。
印象的だったのは、点点と絵を描きながら、秋山さんがおっしゃった言葉
みんなねー、使命とか天命とか知りたがるんだけど、
みんな、いいこぶりっこしたいわけよ。
こんなにすごいことしてます!とか、いいことやってます!みたいにね。
じゃあ、知ったところでそれが本当にできるわけ?
戦場で何かしてこいって言われたら行ける人がどれくらいいるのかなってね。
だからね、宇宙に呼ばれたら、喜んで使ってもらうの
ふわふわっと微風にのるかんじでね。
こんなような言葉でした。
そうですよね・・・と、ただでさえ、「使命」という言葉に反応してしまうわたしは、冒頭にその話がきたことを特に何も考えずにボケッと聴いていたのでした。
以前、次男がお腹の中にいたころ、メッセージをいただいたときも、
この人は、使命とかいうと、力はいっちゃうからね。
という感じで、あまり伝えてもらえなかったのですよね(笑)
わたしもだいぶ自分の癖を理解して、小さい頃の自分の境遇とも向き合ってきたので、
なにかにつけて「いいこちゃん」でいようとする癖は重々自覚していたつもりだったのですが。
秋山さんのこの言葉がなにかにつけて肩に力が入りがちなわたしにジワジワと効いていて、数日後の今、
そのいいこちゃんぶり、の深さをもうちょっと自覚して、より自分の言葉の精度をあげていきたいなーと思ったのでした。
こうやってブログを書いたり、SNSで何かを書いたりしているときも、
どこかで「こういった方がいいかなー」というスケベゴコロみたいなものが全くないわけではないのです。
それはちょっとわかっていたのですが、それは広報時代の癖「お化粧は2割まで」のような感覚がまだどこかにあったんですよね。
あと、わたしの純粋さというか、純度の高さって、時にかなり尖ってしまう部分があるので、
そこを全開にするのが怖いみたいなところもあるわけです。
でも、その純粋さは、攻撃に向けなければいいわけで、使う方向さえ間違えなければ
もっと全開にしていってもいいんだろうな、と秋山さんの言葉、表情、ポーズを思い返す度に思うのでした。
ほら、またいいこぶりっこしてるよ!
みたいに自分でツッコミをいれて、アハって笑って肩の力を抜いて。
自分の魂に誠実な言葉を、今後はより、綴っていかれたらと思います。
☆写真は、今回企画してくださったお友だちの竹内香織さんが昨年から身につけているのをみて、
「あ、これ、ぜったいほしい」」と思っていた秋山さんの曼荼羅のペンダントトップ。
セッションの最後にお願いしたら数ある中からピッタリなものを選んでくださいました。
わたしの数字、今の状況、すべてがリンクしている素敵なエネルギー。
やっぱりわたしは、ここだよなっていう納得感とこれからへのワクワク感を引き起こしてくれます♪
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