整合性より誠実さ

最近気がついたのだけど、自分に様々な感情が生まれるたびに、どこかで過去との「非整合」を責める感情が起こる。

あのとき、ああ思ったのに、決めたのに、どうして?
みたいな感じ。

いろんな局面で矛盾や非整合は「よくないこと」という観念が植わっているのだな、と思う。
そして、これを気にすること自体、外を意識したものなんだな、という自覚もある。

この観念自体がどうこう、というつもりはない。

私がしてきた仕事ひとつとっても、まだまだ社会では整合性を求められる局面がほとんどだろう。
そして、私も息子に接するときは自然と自分の発言や態度に整合性があるかどうかを意識している。

でも、そろそろ非整合や矛盾を受け入れてあげようと思うようになった。

私が大学生だった頃、海外との交換留学の話がきていて、私は行ってみたいなーと思い、母に相談した。
すると・・・いきなり激怒されたのだ。ものすごい勢いで。箸がとんできたような・・覚えが。

私は全く知らなかったのだが、父はその頃大腸ガンにかかっていて、手術を控えていたらしい。母は父はもちろん、私たちにも知らせず一人で抱え込んでいたようだ。
私はてっきり父は胃潰瘍で入院していて、すぐに退院するものだと思っていたので特に心配はしていなかった。
その事実は激怒しながら涙ながらに母から聞かされた。

私はものすごくショックだった。
父の病気よりも、母が隠していたこと、そしてこういう形で怒らながら知らされたことだ。

正直に話してくれれば、こんな複雑な思いはしなかっただろう。
今まで隠してきた背景や、どうして留学がだめなのか、母の正直な気持ちをきちんと打ち明けてくれれば・・・

私は母に信頼されていない、頼られていない・・・これが一番ショックだった。

もちろん留学の話はなかったことになり、この1件は私の心の奥でずっと母に対してのわだかまりのような形で残った。

そして、最近までずっと忘れていたのだけど、整合性か・・と考えていたときにふっと思い出された。

そうね。
整合性の有無を補ってありまるもの、それは誠実さではないだろうか。
整合性も大事だけど、人間だもの、それができない局面も多々ある。その時はやっぱり誠実さだね。

自分の気持ちに誠実に。それは結局は他人にも誠実に接することにつながるんだよね。

そういえば、私は息子がお腹の中にいたときから、そして産まれた後も誠実さを最優先で接してきたな。
自分が煮詰まってどうしようもないとき、息子には「ごめん、今こういう気持ちなんだ」と伝えて泣いたり、感情をはきだしたりしてきた。
(あ・・・もうちょっと主人にも誠実に伝えるかな・・・)

この1件は、頭でっかちになりがちな私への母からの教えだったのだろう。今、そのことを理解した。

私はもっともっと自分の気持ちに誠実に生きられる。
それは感情にまかせてわがままな振る舞いをするのとは違う。
きっと、この誠実さは周りとの調和を生んでいくだろう、素敵なエッセンス。

なーんて言っているのだけど、実践はなかなか難しい。

昨日、病院へ経過観察へ行ってきた。順調に回復中。
調子に乗った私は新宿で喫茶店でお茶をし、デパートで買い物をし、野菜や日用品の買い物をし・・・両手にいっぱいの荷物で帰宅した。
・・・やっぱりね、無理はいかんです・・・
心のどこかで「まだやめときー」って声が聞こえたような聞こえなかったような・・・

学んでないなー、私・・・

夜、腹痛に悩まされながら自分の学習能力の低さを憂う。

でも、そろそろ仕事をしないとな。
入院しましたーですまされないのが個人事業の悲しいところ。

そろそろピグライフに費やす時間を仕事にあてなければ・・・
仕事は明日にしとくかな・・・