ニュートラルとか、感覚とか。
こんにちは。八ヶ岳西麓の原村の山の中は週末20センチほど雪が積もりましたが、さすがのこの季節。すでにほとんどなくなってしまいました。
こんなんだったのに・・・
もうほとんどなくなりました(って薪の写真だけど)
土曜日に岐阜の両親の家へ車で息子たちを送っていって、帰りにたくさん薪をもらって帰ってきた薪を積もうかな・・と思っていたころに志村けんさんの訃報。
最近はテレビも見ていないから全然動向を知らなかったし、正直、この時期なのでいろんな使われ方をしたのかも・・・と思いつつ、純粋に悲しさがあふれてきました。
この薪も、涙を浮かべながら積み増した。こんなに自分が芸能人の死に対して悲しさを感じるって初めてなので不思議な感覚でした。
小学生時代のわたしにとっての笑いは、半分以上、ドリフターズだった。
家族で食卓を囲み、普段は20時には寝なくてはいけないわたしと弟が、土曜日の夜だけ「8時だよ!全員集合!」をみることができて、母が作ってくれたご飯を食べながら笑い転げる。そんな笑う転げる二人を両親がおもしろそうに見ている。
志村けんさんという存在は、そういう時代の象徴というか、わたしにとっての「安心感のような、懐かしいような、なにか」を含んでくれていたものだったんだと思います。それが失われたような感覚というか、ひとつの時代が確実に終わったことも重なって、いろいろこみ上げたのでしょうね。
志村けんさん以降のお笑いは好きではなかった。誰かをいじったり、おとしいれたり、ディスったり。
誰も不幸にならない感じが、好きだった。本当にたくさんの笑いをありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
そして、今日は久しぶりにこちらの絵の埃をはらってきれいにしてみました。
ブログで知り合ったsatomiさんが描いてくれたパステル。元氣かなぁ・・satomiさん。
わたしの仕事スペースのところにずっと飾っています。
いるかちゃんと言われた息子たちと重なって、かわいいのです。
コロナ一色の今ですが、いろいろな情報があふれていますね。
ここまで楽観と悲観が交錯したこともないんじゃないかな。
そんななか、自分の感覚を信じて、ニュートラルでいられることがとても大切になってくるのですが。
そもそも、この「感覚」はこういう状況や環境に左右されないのだろうか。
日々触れている情報や、人、そして自分が今まで通ってきた道に影響されないのだろうか。
そんなことを思うわけです。
学生時代、就職活動をしていたときにわたしの高校時代の友人でもあり親友の子と議論になったことがありました。
彼女は東大にこだわり、名門私立の入学をこばんで東大へ入学。
就職活動も「東大生」という看板を最大限に活かしてやるべきだ、という考えで外資系を中心に活動していました。
そして、一方でわたしはそういう看板を目当てに採用するような企業はこちらから願い下げ、
ワタシという個人をみてもらいたい、ということで名もなきベンチャー企業ばかりねらっていました。
彼女に、世の中のセオリー的なこと、そういういわゆる「勝ちパターン」のようなものはのっかったほうがいいと言われたような記憶があり、それに反してわたしは「自分の感覚や信念をやっぱり大切にしたい」と反論したんですよね。
そして、その時に
その信念や感覚はどうやって作られるの?結局は自分がいる環境から作られるんじゃないの?
と彼女に言われ、わたしはそれ以上何も言えなくなってしまって、その言葉がずっとひっかかっていました。
今また、この感じを思い出しています。
間違いなく、自分の内側からでてくる感覚があるのはわかっている。
でも、アンテナが傾いたり、自分が傾いたりすることも、わかっている。
そして、「ネガティブ」の影響力の大きさも。
いくつもの誉め言葉をもらっても、たった一言の「ネガティブ」がグサッとささる。
なぜか、そういう「ネガティブ」に惹かれていく。
なので、できることは自分の状態をよく観察し、身体の感覚をできる限り鈍らせない生活をする。(食生活、大きいですよ)
そういう中で、今の自分のニュートラルってきっともっと時間が経って振り返ってみれば「どちらかに触れていた」ということになるのでしょう。
それでも、今の環境の中で、精一杯自分の感覚を見つけ出し、ニュートラル(と感じられる)場所にもどり、愛とともに生きる。
目の前の現実を目を開いてみて、感じて、自分なりの答えをだしてからこそ、愛と一緒にいられるのだと思います。
エッセンスやホメオパシーのチカラも、借りていきます。
4月からまた大きく変わるでしょう。そのためにも、自分を準備しておこうと思うのです。
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