紙一重の狂氣

こんにちは。最近、八ヶ岳西麓原村では、ようやくマイナス二桁になる朝もやってきて、冬らしくなってきました。

 

年末から立春まで、なんとなく動けなくなって、その代わり?というか、結構普段見ないようなYoutubeだったり、普段だったら絶対見なかったであろうabemaTVなんぞ見ていたりしたのですが。あ、久しぶりに最新シリーズの「相棒」もおっかけたりしてみたりしましたよ。反町さんの相棒役、思っていた以上にはまっていてこれはこれで好きだな、続いてほしい!と思ってます。

 

一回自分の感覚にひっかかると結構とことん見てしまう癖は相変わらずで、本当に「こじらせ森の美女」なんて何度も何度も見ましたねー。

演出だろうな、とか音楽の選び方だったりとか、それこそ裏MCの面白さも特に。

 

「恋愛リアリティショー」なるものが流行っていたことも、バチュラー?も全く知らなかったし、なんというのか、なんでしょうね。

面白かったです。疑似恋愛的な感じもなんだか新鮮でしたし、だんだん感情移入も起こってきて面白かったです。

でもなぁ、なんというか、テンプレートをなぞったというか。軽い面白さなんですよね。いや、こういう軽さも今の時代必要なんだろうと思うんですけどね。

 

やっぱり、カジサックさんのゲストできていたフジテレビの近藤さんが話していた通り、

テレビって知識や情報を得るというよりも、「感情を共有する箱」っていう表現はまさにという感じで納得できました。

ヒトはそれほどまでに感情を共有したいんだなって。自分ももちろんヒトなのですごく実感したわけです。

はねるのとびらは全く見てなかったのですが、さすがの視点がたくさん。勉強になりました。

 

この動画を見ているときに感じたのは、やっぱり今までのテレビって、いろんな「狂氣」が集まって特殊な面白さがでていたんじゃないかなということ。

 

勝俣さんのエピソードもそうですが、ちょっとおかしいよね、ってことが普通にあったんじゃないかなと。もちろん、労働衛生的にはNGなことばかりだったと思うのですが、そういう「狂氣」が生み出すものって、独特の魅力がありますね。

 

ドリフターズも、そういう意味では毎週ライブであんなことをやり続けたわけですから、立派な「狂氣」だったんだなと。いつもいつも、お腹を抱えて笑わせてくれるあの魅力は、もうあらわれないんだろうなぁ。

 

最近の相棒のネタとかも、海外のドラマのネタとかぶってたり、恋愛リアリティーも、ある意味テンプレートだし。

何が足りないってそういうちょっと「オカシイ」感じなのかもしれません。

 

オリラジの中田さんが「Youtubeでブレイクするのに必要なのは狂氣・血の匂い」って表現していましたが、そういうの、わかりますね。

それくらいの突き抜けている感じに、人は無条件で惹かれるのかもしれません。

 

闇や狂氣って魅力的ですよね。

百のポジティブな言葉よりも、たった一言のネガティブな言葉がいつまでもささるくらい、強烈な力があります。

 

と殺の現場で感じたのも、ある意味「狂氣」でした。これは、コワかった。本当にこれは戦争の匂いがしました。狂っているコワさ。

近寄りたくないコワさ。触れてはいけないコワさ。

 

その視点からいくと、狂氣はやっぱりいろいろな面があって、すべてがウェルカムではないのですが。

なんでしょう。きっと、だれしも心の中に持っている「オカシナ」部分だと思うんですよね。

そこを、自覚してうまく発揮できれば、突き抜けて自然体で、どんどんいけるんじゃないかなーと。

 

そう、タロットの悪魔→神の家の流れのように。

 

オカシナものが魅力を創り出していくことへの興味は尽きません。

そして、自分の中にあるであろう、狂氣のようなもの。そこへの興味も尽きなかったりするのです。