より正直に生きよう

2019年2月11日

自分で言うのもなんだけど、私のウリは素直さ、正直さ、というところだろうか。

昔から気持ちは顔に書いてあったみたいだし、お世辞も苦手だった。
ぶすっとしているときはたいていお腹がすいている時なんだが、お腹がすいたら誰かしらすぐに食べ物をもってきてくれるほどだった・・・(それほどひどかった、というべきか)

そんな私でも、前職ではいろいろなことにお化粧を施さなくてはならない仕事だったので、

嘘ではないんだけど

という誠実さを保つギリギリのラインで駆け引きをする、というテクニックを身につけることになった。

自分の性質上、こういうことをするときはまず、自分をだますというか、納得させなくてはならないので自然と、自分自身に対しても「嘘ではないんだけど」という綺麗事を選択するようになっていた。

まあ、いわゆるオトナの世界ってやつ?

さすがに出産後はそれを使う機会は減ってきたけど、少し前まではやっぱり仕事で、そして人間関係でも、このテクニックを気がつくと使っていた。

でもねぇ。
最近、ちょっとこれも違うように思っていたのだ。

そして少し前に読んだ『第十二の予言』の中で、私の感覚を表現してくれるような記述があった。

主人公が見知らぬ人に頼みごとをするときに、状況を素直に説明するのではなく、ちょっと脚色して説明するシーン。嘘はついていないんだけど、全部が本当ではない、そういう感じだ。
その物語の中では、脚色している段階でエネルギーが変わってしまい、それを警戒された主人公は頼みごとに失敗するのだった。

やっぱりね。伝わるんだね・・

エネルギーにみんな、敏感になってきているように思うんだ。

なので、私はちょっと前から、どんな場面でも、どんな人に対しても、正直に接するよう心がけている。

たとえば、義母の厚意で旅行に誘われた。その時は行きたい!と思ったけれどよくよく考えたらある理由で行かれない。言い出しにくい。

その理由が自分の個人的な感情だったり、理解してもらえなさそうな習慣だったりするとなおさら言い出しにくい。

いっそ、主人を理由にしたり、仕事を理由にしたりしたほうが綺麗だ。

今までは・・後者を迷いなくやっていたんだよね。
でも、最近はちゃんと正直に自分の思いを伝えるようにしている。

仕事のシーンでも。
たとえば、とてつもない凡ミスでダブルブッキングをしてしまった。
あまりにもアホな間違いなので言い出しにくい・・・

どちらかを綺麗な理由を考えてリスケすること・・が今までの手段。

でも。
今の私は正直に、「私がアホなミスでダブルブッキングしてしまいました」と伝えるようにしている。

あ、もちろん、言葉や言い出す状況は選んで・・・ね。

実際にやるのは割と勇気と覚悟がいるけれど、変なプライドや、「理解されなかったら・・」という恐れを気にしなければ大丈夫

主人に対しても、モヤっとした時はなるべく早めに伝えるようにしている。
言葉の選び方を間違えてしまった時は、素直にそれを謝罪する。

今のところ、とても気持ちよく物事が進んでいるみたい。
そして、自分自身に正直に生きるって本当に清々しい。

それに・・・
アホなミスはだからこそ繰り返さないようにしよう、と気持ちも引き締まるから・・一石二鳥だね