ありがとう、牛久のおうち

2019年2月11日

わたしは、幼少時は東京都の杉並区で育ちましたが、

高校に入学するタイミングで、両親が茨城県の牛久市というところに家を建てたことで

そこから高校、大学と都内まで通うことになりました。

 

往復2時間、いつも混んでいる常磐線で毎日通うのは本当に大変でしたが

母も毎日お弁当をつくり、送り迎えしてくれたおかげで通うことができました。

 

なので日中はほとんど家にいなかったし、土日もあまりいなかったので

どうしても愛着という意味では薄い、牛久の家。

 

それでもずっと狭い社宅に住んでいた環境から

シャワーもあって、自分のベッドがあるお部屋がある環境になったときは

心躍ったものでした。

 

そんな牛久の家も、両親が岐阜の母の生家に引っ越すことになり

売却することになりました。

 

築30年近くで駅からも遠く、条件的には「売れるのかな・・・」な家でしたが

母曰く、不思議と決めてからすぐに買い手がついたということでした。

 

30年近く経ってもかなりキレイに使っていたから、ということが理由だったようで。

母の毎日の努力のたまものですね。

 

さすがに引越しの手伝いはできなかったのですが、長距離運転はきついだろうということで、

わたしたち家族は運転手として先日、最後の引き渡しの日に牛久へ行ってきました。

 

311以降、放射能の関係もあって足を運ばなくなってしまった牛久の家。

こうやってみると、なんだか不思議な感じです。

 

 

亡き祖母が買ってくれたピアノ。本当は原村の家に・・・と思ったのですが手違いで入れられませんでした(涙)

 

いろんな意味で、両親を含めて転換期がきているなぁ・・と静かに感じながら

隣に父を乗せて、首都高、中央道を走らせたのでした。

 

 

あの時期は、受験の重たいプレッシャーのイメージが強すぎるのですが

こうやって今があるのも、あの環境を経たおかげ。ありがとう。ありがとう。