あえてその選択をするのであれば

2019年2月11日

今回は長いです。

そして、内容としては淡々と記録として綴りますが、覚悟がいるかもしれません。

でも、多くの人に読んでいただきたい、そう思います。

 

前の投稿で、植物も動物も同じ命じゃないか、

線引きをすること自体、そもそも違うのではないか・・・

長男の深い質問に、うまく答えを見つけられなくて、モヤモヤしていたとき、

すごくいいタイミングでと殺の現場を見学することになった。

 

といっても、「もう、動物を食べ物として扱うのはやめよう」と思いを新たにしてから、

やはり一度は見ておかないと、と友人と見学に行くことにしていたのだった。

 

だいぶ前から見学を決めていたのに、日程が近くなると何かが起こり、

今回も直前までいろいろ起こって、さすがに自分自身の覚悟を問われているようだった。

 

そう、覚悟。

直前まで正直、いやだった。

だって・・ね・・・わかってるもん、悲惨だって。

 

でもね。

自分の意見として、人に話す機会があるのであれば、

わたしはやっぱり「体験」を元にして伝えたい。

そうでないと、自分自身に対しても説得力がないと思ったから。

なので、意を決して出かけていった。

 

前置きが長くなったけど・・・・

見学をさせてもらったのは、長野県松本市にある「長野県松本食肉衛生検査所」。

ここは、と殺から食肉加工までを行う民間会社の敷地内に

公的機関である「衛生検査所」が併設されているという仕組みになっており、

今回は、民間の衛星検査員という立場で過程を検査するということで見学をさせてもらった。

 

まずは、担当の職員さんがこの検査所の由来、食肉の簡単な歴史、

そして本日の流れを説明してくれた。

 

そもそも、明治4年に食肉衛生行政が発足してから、

国として食肉を管理することになったということだ。

 

明治維新で肉を食べるようになってから、各業者が好き勝手やり始めて問題が起こるようになり、国が乗り出したのだ、という話だった。

 

そして明治22年に衛生管理は警察の下で行うようになった。

 

以降、食肉衛生検査所というものが、どのような経緯でできたのかという内容が資料に書かれていたけれど、あらためて・・・食肉の歴史って本当に浅いんだなぁ、と感じた。

 

もう、当たり前のように、むしろ「食べなきゃおかしい」くらいに根付いているように見えるけど、

ちょっと紐解けば全然文化でもなんでもないんだな・・と思ったのだった。

 

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いただいた資料。かなりの充実度だ。

 

 

で、いよいよ見学。

その日は、牛さん、羊さん、豚さんの予定だった。

資料の数字からざくっと計算するだけでも、一日150頭以上の動物たちが、

ここの敷地内でと殺(言葉では、と畜、と表現されていたけど)されている。

流れとしては、牛→羊→豚の順番だと言うことで、すべて見せてもらうことにした。

 

頭には衛生帽子とヘルメット、身体には全身を覆える軽めの防護服?のようなもの、

そして長靴、手袋という姿になり、まずは牛さんがいるところへ行った。

 

待っている牛さんは3頭。

職員さんは、あくまでも衛生検査の流れを説明してくれるので、

 

この段階で、こうやって病気を持っているかどうか見分けるんですねー

 

と淡々と話してくれる。確かに、こぶのようなものができている牛さんもいる。

人間だって、パーフェクトな状態な人はいないものね・・・

 

全体的に、効率と衛生を考えて運営されているので、

しきりと消毒液みたいなものが散布されていて、導線にもあまり無駄がない感じだ。

牛さんがトラックから降ろされて、入る場所。そしてと殺される場所。

実にスムーズな導線だった。

 

最初にみた光景は、牛さんをガンで倒れさせ、

のどの部分を切り裂いて血を抜いていくところだった。

 

暴れて抵抗する牛さん。

 

あまりにも暴れて前に倒れている牛さんの上に乗っかってしまった牛さんを担当の人が蹴る。

身体が大きいから、仕方ないことなのかもしれないし、

ここで行われている根本的なことからすれば些細なことなのだろう。

 

ガンをあてられた牛さんは倒れるが、足がけいれんしている。

素早くのどのあたりが切り裂かれ、大量の血が流れてくる。

次の瞬間、足にわっかをはめられ、宙づりになっていく。

 

その後は、ベルトコンベアーのように淡々と、作業がなされていく。

内臓を抜き、抜いた内臓は逐一検査を行う。

ほとんどがベテランの職員さんの目視によってよりわけられていく。

無造作にかごに分けられていく内臓。切り落とされていく足、頭。はがされていく皮。

 

そして、どんどん流れてくるカラダ。

 

いろんな検査を経て、枝肉になり、最後は塩素で消毒し、

最終検査を経て、検査済みのハンコが押されるのだ。

 

こうして、肉体は「食肉」となっていく。

 

横で職員さんが、詳細に衛生検査の観点から流れを説明してくれる。

そして、すごく近くで見せてもらった。

大量の電気、水、クスリ、人。絶えず資源を使い続けて、加工されていくのだった。

 

基本的な流れはどの動物も同じだった。

羊さんは見に行くのが遅くて、すでに皮をはがされた状態のところからしか見られなかった。

 

豚さんは・・一番人間に近い氣がした。

豚さんは、数も多いので、上り坂になったベルトコンベアーを上らされ、

頂上のあたりでショックを与えられ倒される。叫び声を上げながら抵抗している。

ショックを与えられる瞬間に、大きな叫び声がする。

倒れた後、牛さんと同じように切り裂かれるのだろう。その瞬間でも足がバタバタしている。

でも、あっという間に手際よく、宙づりになり、「肉」となっていく・・・

 

これがこの施設だけでも、年間4万頭弱行われているのだ。

 

育てるまでに大量の飼料を必要とすると言われている畜産。

そして、今回の見学で加工して流通するためにも、かなりの資源やお金がかかっていることもわかった。

 

そして、何より。

これは、大量殺戮以外のなにものでもない。

植物と同じ土俵で語るには、あまりにも違いすぎる。

 

よく、どこかの国が先住民が・・とか、文化として・・

とか食肉文化について書かれているのは目にするけれど、

今見ているものは、まったく違うものだ。

 

どうして、こんなことを国をあげてやっているのだろう。

悪趣味の極み。狂気の沙汰。

正直にいうと、このような言葉になってしまう。

 

本当に、お肉は食べないといけないのだろうか。

今、出回っている教育向けの資料は「お肉は食べないと!」という前提で書かれているので、

感謝して食べましょうね♪のレベルで終わっているのだけど、そういう問題ではない。

 

わたしは、食肉に関わる人や食べる選択をしている人たちを非難する氣も、

自分の思ったことを押しつけるつもりも全くない。

 

ただ、単純に思う。

こんなに、選択ができるこの環境で、あえて選択をする必要があるのだろうか。

もし、あえてその選択をする、というのであれば

一度、見学に行ってほしい。自分の目で、鼻で、耳で感じてきてほしい。

 

そして、わたしは次は肉を前提としない栄養学を学んでみたいと思っている。

 

長文におつきあいいただき、ありがとうございました。