「普通」であることが、おそらく今回の人生での大きなキーであろうことに氣がついた日

こんにちは。Miyoです。

八ヶ岳西麓・長野県原村は、だんだんと薪ストーブの季節になってきました。

まだ・・・なんとなくうちはねばってます・・・笑

 

さて、少し前に素敵な方のおうちで、トマトケチャップづくりをしてきました。

その方とご縁をつないでくださった素敵なお友だちとともに。

 

材料をみじん切りして、ひたすら煮込む。スパイスたっぷりのトマトケチャップ。

自分だとちょっとハードル高いかもなものをお話しながら作る時間はとても贅沢ですね。

 

霊的な能力者であり探求者でもある2人のなにげない感じたことや最近のことの話をきいていると

そういう一般的でない(と今はされている)能力があるからこその

苦労や氣づかい、いろんなことが伝わってきました。

 

家庭環境も、人間関係も

いろんなことが、きっと、その能力を引き出したり、活かすための糧になってるんだろうなぁと。

 

そんなことを思いながら二人の会話を興味深く聞かせてもらって

そういえば、わたしって、本当にそういう意味では「普通」の環境で育ってきたなぁと。

 

裕福ではないけど、安定した企業につとめあげてくれた父

毎日手作りのご飯やおやつを作ってくれる母

そんな両親に育ててもらって、ザ!中流って感じの環境にいて

自分なりの葛藤を抱えてはいたものの、特に大きな苦労をすることもなく

恵まれた環境で育ってきたなぁと。

(まあ、普通ってなんだよって感じになりそうですがそこはあえて、言及しないようにします)

 

少し前の自分だったら、こういう2人に囲まれたら

わたしの能力ってなんだろうとか、ちょっとうらやましいと思ったりとか

自分がたいしたことないように思ってしまったりとか

 

いろいろもにょもにょしてたと思います。

 

でも、不思議となんとも思わなかった。いい意味で。

で、そういう能力を持って一生懸命生きようとがんばってる二人をとても愛しく思ってみてました。

 

わたしは今回違う道を選んだけど

きっと、「普通」でいたかったし、「普通」の感覚を持っているからこそできることをしたかったんだろうなと。

 

で、少し前まで自分がいかに普通でないかをなんとかして確信したかったし

普通っていわれることに恐怖すらおそらく感じていたんですが

 

自分がそういう能力者でないことを選んできたこと

とはいえ、そういう能力者のすごさもわかるし、あこがれるし、求めてしまうキモチもわかる立場になりたかったんだということ

 

その立場できっと、やりたいことがあるんだろうということを腑に落とした時、

すごく楽になりました。

 

で、この「普通なんだな」って感覚がきっと、わたしにとって大きなキーだったのではないかと今、思うのです。

 

そういえば、大学の名前が変わりました。10月から。

本当に冗談抜きで、大学・大学院で学んだことは一ミリも覚えていないし、愛着も特にないっちゃないのですが、

それでも6年間通ったあの場所や、出会ったお友だち、あの時代に経験したいろいろはわたしにとってはかけがえのない基礎にはなっています。

教授にインドネシアの学会に連れて行ってもらったときに

あなたは自分をどれくらいの位置だと思っている?って唐突に聞かれて答えに困っていたら、

真ん中くらいなんだよ、普通なんだよ

普通だと思っていなさい。

と言われました。その時は「たいしたことないっていいたいのかな・・」くらいにしか思いませんでしたが、

これも、キーなんだろうな。

 

とてもささいなことだけど、わたしにとっては大きな転換だなと思います。