オープンさについて考えてみる。

おはようございます。八ヶ岳西麓・長野県原村は、朝6時で1度、月明かりもとてもきれいでした。

442年ぶりの月食、天王星食、で昨夜はSNSの投稿も盛り上がっていました。

 

占星術が好きくせに、天体現象にはあまり興味がもてないわたしなのですが、

昨夜は珍しく家族で眺めていました。不思議だなーってね。

そして、星がきれいだなって思いながら。

 

いよいよ風の時代が本格化するねっていうことは、占星術でもみてとれるのですが、

なんとなく、八ヶ岳近辺の活動の雰囲氣やSNS投稿の雰囲氣でそのあたりを感じ取っています。

 

 

わたしは、風の時代きたー、うぇー--い!!って感じにはあまりなれなくて、

ああ、地に足つけておかないと飛ばされるなーってずーっと感じてて

特に2022年の今、しっかりと自分の感覚と思考、そして身体を併せながら、チューニングしているような状況なのです。

 

そして、ちょっとしたバランスのとる精度?のようなものが細やかになっている感覚はあって、

かすかな違和感を見逃せないのはもちろんのこと、

今まではあまり氣にならなかった、ずれのようなものも感じ取っていくような感覚が強くなっています。

 

そういう中で、自分のオープンさをどうやって保てばいいかなって思ったりするのです。

 

もともと、おなかすいたら顔に出るし、やりたいことはやりたくないし

って「わかりやすい」と認識されていた自分ですが

一方で、「しっかりきっちりやらなければ」「役に立たないと意味がない」みたいに、結構がんばって鎧を着こんできたところもあり。

 

移住して、そこらへんのバランスと、オープンさのさじ加減はかなり良くなってきたかなーって思うのです。

鎧は無意識に着込んでいる分はまだあると思いますけどね。

 

でも、八ヶ岳の山奥に来ている時点で、かなりのマニアックなのですが

そんな八ヶ岳の中でも、わたしの感覚ってマニアックだなって思わされることが最近顕著になってきて

まあ、それはそれでいいのですが、マニアックを自覚すればするほど、感覚を共有できる人が欲しくなっちゃったりしますね。

(月蠍の特徴ですねー)

 

なので、わたしの感覚ではこうだよねーっていう話をするときも、

周りは結構理解してくれることもあるのですが、

熱狂するような感じの対象?については全然別なんだなっていうこともよくわかる出来事がありました。

 

例えば、多くの人が「あの人の活動は素晴らしい」「お話もいいよね!」ってなっている方がいまして、一度リアルにお話をきけたらと自分が主催するイベントにきてもらえないか打診したことがあったんですよね。

 

その時の対応が信じられない感じでしてね・・・(よくないほうにね)

 

そのことを、わかってくれそうな人に話しても、「えー???」ってなったりして。

一人でなく複数の人から「えー??」って言われたりして。

 

あと、今周りがとても熱狂しているアーティストの方がいらっしゃるのですが

わたしにとっては、「まあ、いいとは思うけどね・・・」っていう感じなのですが、それを素直に話すと

ソフトに天邪鬼扱いされたりね。

 

いや、いいんですけど。でも、ちょっといい氣持ちはしないというか、尊重されなかった感じとか、わかってもらえなかった寂しさとかいろんなものがふわっとやってくるわけです。

 

できれば味わいたくないなーって思っちゃうから、こういうときの「オープンさ」はやめておこうかなっていう感じで、口をつぐんでしまうのです。

 

まあ、なんでもかんでもオープンでなければいけないわけではありませんけどね。

どう?って聞かれたら嘘はいえないじゃないですかね。はい。

 

なんてことを、ちょっと思ったりしたので、ひとりごとです。

ふふ。