白黒が混ざり合う・複雑な世界を生きる
こんにちは。八ヶ岳西麓・長野県原村は、今日はようやく暖かくなり、太陽がうれしい一日となりそうです。
寒かったですからね、最近・・・
わたくし、自分でいうのもなんですが、会社員時代にやっていた「広報」はとても優秀だったと思います。
それも、どちらかというと、かための数字や業績を法律も意識しながら伝えていく「IR(投資家向け広報)」に関しては、たぶん、天職だったように思いますね。それくらい、はまった職業だったとは思います。
とはいえ、爆発的に企業を有名にさせたとか、インフルエンサー的にめちゃくちゃバズッたわけではないんです。
当時、ライブドアやサイバーエージェントが猛烈にバズっていた頃、広報担当者も持ちあげられていた時で、広報担当者もたくさんテレビにでていたような時代でした。わたしも、その中では広報だったわけなんですが、そういう持ちあげられ方はしなかったんですね。というか、望まなかった。
当時の社長からは、そこらへんは能力が足りないっていろいろ言われてましたけど、わたしはあまり氣にしなかったんですよね。
なぜなら、信用を蓄積していくのが何より広報としては第一の仕事だと思ったから。
今、サステナブルがどうのこうのっていろいろ言われていますが、企業が続けられるためには、長い目でみた「信用」を築くのが一番大切なのですよ。だから、嘘は言わないのは大前提だし、信用してもらって応援してもらうのが何より大切。
わたしは、今だからこうやって言語化できますが、当時は感覚というか、説明できないまま、そこを何よりも大切にしていました。
ただね。やっぱり目先のことだと、なかなか出したくない情報などあるんですよ。
わたしはもともと嘘をつきたくないし、お世辞もいえないし、そういう性分だったのも手伝って悪い情報はちゃんと伝えようとしました(これも何度も社長とバトルになった)ダメって言われたものも、なんとかニュアンスで、後で嘘つきと言われないように、どこかにさらっと記載したりしていました。
どうしても出せなかったものは、面談したときなんかに、表情やニュアンスで伝えてきました。たぶん、わかる人にはわかったと思います。
それでも、「嘘ではない。」のレベル感で、なかなか伝えられないことに罪悪感はあったわけなんですけどね・・・
こんな、いろんなバトルを続けてきたわたしだったので、何度も地位があやうくなったことがあるんですが、
本当に危ないときには、すごくエライ人や発言権のある人が助けてくれたり、
いろんな「運」に助けられて、なんだかんだ功績も認めてもらって、報酬もあがっていったのですね。
だからですね・・何がいいたいかっていうとですね・・・
どんな状況におかれても、信念を貫くって局面は大切で、それを後悔なき形でやっている時は、「人事を尽くして天命を待つ」ではないですが、何らかの助けが入る可能性があるってことなんです。
で、わたしの場合、その信念が、会社やみんなにとって長期的にみたらどれがいいのかを自分なりに精一杯考えていたところに起因するから、助けが入ったのではないかなとも思います。
そしてね。わたしもその会社にいたときは、見る人から見たら、「黒」の側だったと思うのです。
でも。こうやって必死で、伝えようとしていた自分のことを思い返すと、白黒単純ではないってことなんだと思うのですよ。
今回の予防接種の件もね。出せない情報を必死で伝えようとしている人も、たくさんいるんだと思うのです。
わかりづらいけど、さらっと何かでてきたりとか、ニュアンスだったりとか。
黒だと思っている側にも、白によろうとしている人たちもたくさんいるんじゃないかと。
もしくは、二つの両建てがあったりすることもあるんじゃないかと思うのですよ。
昭和の対戦モノは単純でしたよね。わるいやつと、いいやつ。
タイムボカンシリーズは好きだったなー
☆画像はネットからかりました
でもまあ、そんな単純ではないわけなんですよね。
というわけでですねー。
今、わたしが懸念するのは、
予防接種をする人は〇〇、しない人はわかってる人、みたいな優性思想も危険だと思うし、
明らかにおかしいよねっていうヒントがたくさんちりばめられているところに氣づかないで一つのものを妄信していくのも危険だと思うし、
どこかの大統領が復活してヒーロー的に助けてくれるっていうのも危険だと思うし。
結局は「自分の力を信頼する」そして「まわりの人の力も信頼する」ってところをベースにして、自分の足でたっていかないと、つらい時代になったと思います。
風の時代って、軽やかさに焦点があたりがちですが、地に足着いてないと、とばされますからね。
ほんと、個々がしっかりと、自分で自分を守り、時代を変えていく時期にはいったなと思うのです。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません