過去を癒すとき

最近、心が安定していて毎日がどんどん過ぎていってしまう。
気がつくとすべてが心地よい環境。
人間関係も、仕事も、育児も。
「今」には、なーーんにも不満がない。
ちょっと前だったら、がんばって将来のことを考えてみたり、なんだかんだと「不安の種」を探しに行ったことだろう。
でも、今はそんなことも必要ない。
ただ、今を味わって毎日を味わっている。それだけだ。
こうやって文字を書いている時でさえ、「今」ではなく「過去」になっていく。
無邪気に笑いかけてくれる息子も、どんどん成長して「過去」になっていく。
切なさと甘さと、いろんなものが混じった感情がこみ上げてくる。
儚いけれど、私はこういう体験をしたかったのかもしれない。
映画などでよくみる、老人達が談笑するシーン。
過去にはいろいろあったけれど、結局は、近所の路地やカフェで友人達と他愛もない会話を楽しんでいるような幸せなシーン。
そういう何気ない幸せ、心の平安を味わうために生まれてきたのかもしれない。
もっとカッコイイ目的や意味があるのかもしれないけれど、最近そう思えるようになってきた。
そうやって目的や意味を探すことをやめたら、もっともっと楽になった。
あー、どんどん楽になっていくなー
そうしたら、なんとなく自分の過去(世)を癒したくなってきた。
どうやって?わからないけれど。
フェニックスの塚本さんに言われた時から、「ああ、そろそろ過去を癒す時なのかも」ってどこかで感じてはいたけれど、方法がわからないし、探す気にもならなかった。
で、ふとchiexさんの記事をみて、ジムさんの個人セッションを受けてみようかなって気持ちになった。
前にもジムさんのことは紹介されていて、調べてはみたものの、アカシックレコードにはあまり興味がわかなかったんだよね。
だって、だから何?ってなりそうでね。
でも、今、知るべきときなのかもしれないな。
というわけで、またもやなんとなくの感覚を優先してみることにした。
予約がとれた日をみると13の月の暦の新しい月、スペクトルの月の始まりの日。
そして、その月のテーマは「私はどのように解き放ち、なすがままにさせるのか?」だった。
うーん、面白くなりそうな予感。