与える姿勢

先日、久しぶりに以前の仕事でさせてもらった経験について思い出した。
二つの苦い思い出だ。

一つ目は、ソフトウェア会社に勤務していた頃のこと。
開発部から社長付の経営企画室に転属になった私は、広報部門の立ち上げという、初めて大きな仕事を任された。

振り返ればなぜ経験も何もない私がそこに抜擢されたのかは不明なのだけど、とにかくそういうお鉢がまわってきたのだ。

その中でも初めての仕事が会社案内のパンフレットを作成するというものだった。

その時26歳。
学校卒業後入社して、ずっとプログラム開発をしていたので、業務上のやり取り経験は社内のみ。いきなり取引先の選定から予算内でのやりくりまで、すべてを一人でやることになった。

その頃の私は、とにかく失敗できない、そして相手になめられたくない、と必死だった。そして・・・大きな勘違いをしていた。

それは、お金を払うのはこちらなんだから、という視点で物事を全部考えていたことだ。

お金を払ったんだから、こっちはお客。だったらこれくらいやって当然だよね。
たくさんの会社の中から選んであげているんだよ。だから感謝していい仕事しなさいよ。

のような、もろ上から目線でいろいろと注文をつけていた。

26歳の小娘・・・いやいや、ほんと、今思い出しても冷や汗ものですな・・・

そして、ついに取引先がブチ切れて、仕事をおりる、と言ってきた。
もう、半分以上進めていて、お互いにやめるメリットがないのに、だ。

その時言われた言葉は、「あなたとは仕事をしたくない」 だった。

今思えば当然なんだけど・・・その頃の私には、そこまで言われてもこの人は何を言っているんだろう、と全く理解できなかった。かえって、迷惑千万、勘弁してよ、くらいに思っていた。

結局、それを見かねた管理職の人が間に入ってくれて、なんとか会社案内は完成したのだけど、これが私の初仕事・・・でもここでも私は本質を理解していなかった。

そして二つ目。
それは二社目でのことで、30歳くらいかな。
その頃の私は、取引先への感謝なくしていい仕事はできない、ということは学んでいた。
さらに、いろんな方に厳しく優しくご指導いただいたおかげで、いろんな場面でうまく立ち回れるようになっていたし、そつなく接待もこなすくらいにはなっていた。

そして、予算管理から株式上場準備、投資家対応などほとんど一人でこなしていたので、ものすごい業務量だった。さすがに一人に集中するレベルではなかったため、私にアシスタントがつくことになった。

でも、私はアシスタントになった社員の扱いが全然わからなかった。
当時はものすごくストイックで、自分にも他人にもかなり厳しかった私。
仕事についてはものすごく厳しかったが、それが当然、と思っていた。その一方で、私はとにかくそのアシスタントに「与え」まくった。

やりたいという仕事は惜しみなく環境を整えたし、食事やいろんなことは必ず私からお金をだしたし・・・とにかく私が考え付く「与える」ことはすべてやってみたのだ。

そうすれば、アシスタントも感謝していい仕事をしてくれるだろう、とどこかで思っていたのだ。
だって、私はこんなに与えて「あげた」のだから・・・

でも、結局はそのアシスタントは私から離れて行った。

その時も、私はどうしてそのアシスタントとの関係がそうなってしまったのか、よく理解できなかった。ただ、そのアシスタントの責任感のなさとか、いろんな部分を嘆いていたように思う。

この二つの経験、どちらも本質は同じだった。

ついつい、お金とかモノとか、目に見える分かりやすいものが与える対象になると、そのみかけの大きさや量に目が行ってしまい、与えることに優劣をつけようとしてしまうんだ。

大切なのは、やっぱり姿勢なんだよね。

今日、よつばさんのお家に親子3人でお邪魔してきた。
よつばさんはとてもお忙しい毎日を過ごしている合間に・・・素晴らしいものを作ってくださっていた。

大きな箱の中に・・・


こんなにたくさん・・・

ストーリーに沿った手作りの品々・・・

以前、私が息子がはらぺこあおむしの絵本が好きだ、と話したことを覚えていてくださって、コツコツ作ってくださったのだ。

しかも、よつばさんはこうおっしゃった。

「あー、喜んでもらえて本当に嬉しい もらってくれてありがとう

受け取ってくれてありがとう。

これが与える姿勢の本質なのだね。

よつばさん、本当に素敵すぎます。

そして、よつばさんのおかげで、先日思いだした二つの苦い思い出が、学びとなってつながった。ありがたいです。感謝です。

幸せだなぁ・・・