どこで線引きをするべきか
お肉を全く食べなくなって数ヶ月。
カラダの調子はいい感じである。
引越し直前に疲れてダウンしたけれど、目立った調子の悪さはない。
(やせないけど・・笑)
家族のほうは、子どもたちは完全肉なし(たまに外食で肉エキスみたいなのが入っているけれど・・そこは目をつぶる)
主人は外で時々食べてる、という感じだ。
魚介類はいただいている、というところ。
ここで、ぶつかってくるのは・・・
では、魚はどうなのか?
では、野菜はどうなのか?
なのだ。
長男は、畑で野菜を育てたこともあって、植物に命があって、大きくなること、
声をかけてあげると大きくなったり、美味しくなったりしてくれること、
そこらへんを感覚的にわかっているようだ。
なので、最近はご飯を食べるときも、
ねぇ、このお魚さんも生きてたんでしょ?食べちゃうの、かわいそうだよね・・・
ねえ、お野菜もさ、生きているんでしょ?食べちゃうと、かわいそうだよね・・
そして、ありがとうっていって食べようね、と自分で締めくくっているのだった。
わたしが、初めて肉食に疑問を持ったのは小学校4年生くらいだったかな。
美味しんぼを読んでいたとき。
そのときは、植物も動物も同じように生きている。
なので、どちらも命だからありがたくいただかないと、みたいな締めくくりだった。
そうなんだ・・
そうなんだけど、何か違和感がある。
でも、そういうものなのかな、で当時は終わったけど
今もまだはっきりと内容を覚えているということは、印象的だったのだろう。
スピリチュアル的には、意識のあるなし、で線引きをしているところもあるようだ。
ほ乳類は意識があるから
魚介類、微生物、植物は意識がないから
という感じ。
でも、これってどう子どもに説明するのだろうか。
意識のあるなしなんて、誰がわかるのだろうか。
長男がどうしてお野菜、魚はいいのに豚さんはだめなの?
と聞いてくる時の自分自身の納得のいく対応が見つからないでいる。
どうしたものかな・・
ディスカッション
コメント一覧
そうだよね…
魚や野菜はよくて
どうして豚さんは、ダメなんだろう…
今日は、さんまを買ってきた。
飼ってる金魚に餌をやる。
この行為も矛盾してる。
アシュタールならなんていうのかな…って独り言。
全ては、愛で。
尊厳。
自分を楽しく。
この地球って所は、
色んな体験や経験ができて
凄いところだね…。
この間、「いのちをいただく(講談社)著:内田美智子さん」という絵本を立ち読みしたよ。
感じるものがあったので、気が向いたらアマゾンなどで調べてみてね*
Sayaさんへ
おはようございます!
コメントありがとうございます。
野菜さんについては、いろんな方にアドバイスをもらい、
なんとかわたしの中で答えられるものが見つかりそうです。
そういえば、以前自分の投稿でリンクしたここもあったのでした・・
http://saisyoku.com/faq.htm#6
魚に関しては、記載が少ないですが・・・
でも、おっしゃるとおり、この地球は美しく、
たくさんの矛盾とみえることにあふれていて
たくさんの経験、感情を抱ける希有なところなのでしょうね。
いのちをいただく、本を見てみようと思います。
こちらの図書館はすいているから(笑)たぶん、すぐ手に入る♪
ありがとうございます!!
こんばんは~!!
ちびコーギーこと、みかですよ!
おわかりですね~?♪♪♪
その後、楽しくお暮らしでしょうか・・?
ほんとにMIYOさんとは共通点が多くて・・
びっくり&嬉しいです♪
私も小さい頃からお肉、苦手で。
食べると必ず後悔して。
お腹が気持ち悪くて・・。
今も、キャンプでバーベキューした時だけ、
年に数回、お肉を口にしますが、やはり数日体調良くないです。
娘はかなりベジタリアンです。
さて、納得いく回答・・・
では無いかもしれないけど・・
散歩をしていて、お花をみて
わーきれい!
と思い、果物をみると
(自生のビワや桃やみかんや柿や・・)
わー美味しそう!
と思いますね。
これが
人間が一番欲する食物なんではないでしょうか・・・
朝はフルーツ食べたくなりますもんね。
四足動物を見て、
(牧場で牛さんを見て)
わー美味しそう
なんて思わないですものね(汗)
我が家は釣りを昔からするので、小魚や貝を捕まえると
おっ!刺身やてんぷらで今夜はごちそうだ!
なんて思いました。
動物性といえば魚介でしょうか。
弱肉強食の世界に今でも人間がいるとすれば、
自分の力だけで捕獲できる命を
ありがたく頂いていいのでしょうか・・?
私も、いつも自問自答ですが・・。
娘に前にこんな話をしたら、
結構納得していました。
人間が自分の力で捕まえられるものを
有り難く食べてもいいのかな・・って。
卵はいただきます。
ニワトリさんは抱えて捕まえることができるから
卵はいただいちゃうね。
なんて、ニワトリさんからみたら人間の勝手な考えですね!
でも、何も口にしないで生きていけないですものね。
やはり、生きないといけませんからね・・。
回答になってないと思いますが
私も疑問に思ったことありました。
ではまたね・・
みかさん、いえ、コーギーさん(笑)
おはようございます!
コメントありがとうございます。
わたしは、もともと肉食に疑問を抱く子ども時代でもなく、
本当につい最近まで、普通に美味しくいただいていました。
でも、長男が全然食べようとせず、次男も全然食べようとしない様子を見て、
本能的に何かが違うのでないか・・そう思い始めたのでした。
どこかで肉食に関してあまり深入りしたくない、という心もありました。
でも、そこに踏み込んだとたん、たくさんの情報が入ってきました。
畜産の飼育環境のこと、えさのこと、そして栄養のこと・・
卵や牛乳を大量生産するために、何が行われているのか・・
すべての情報の裏をとったわけではありませんが、
最初はアタマから、これはまずい、やめよう、と思ったのでした。
で、極めつけがこれから殺されていく牛さんが涙を流している動画でした・・・
ああ、もう無理だ、と心で思ったのでした。
長くなりましたが、
娘さんの「自分で捕えられるもの、もっというと、殺せるもの」はありがたくいただく
というのは、とても素直で息子たちにも響く回答になると思います。
また質問されたときには、伝えてみようと思います。
ありがとうございます。
また、お話しましょうね。
私が,鋏を置いたのも,植物の命をどうとらえるかでしたが,食といけばなでは違うと思ってます。
生きる為に肉を食べるのは,自然界でも当たり前のことです。
意識がないということも,今は科学的にも疑問符が投げかけられいますからねえ。
最近の研究では,植物同士もコミュニケーションをしている可能性が高いとも言われています。
私は逆に,肉食と命をそのように考えること自体が,人間の思い上がりだと思いますねえ。
ただし,いけばなは,間違いなく植物の命を弄んでいます。
これを認めず,テキトーな言い回しで逃げている華道家しかいなのが現状で,そういう人間が世間では先生と呼ばれているワケです。
花命先生へ
コメントありがとうございます。
先生の素敵な一面をみせていただいて、とても嬉しいです。
わたしは、先生のブログを楽しみに読ませてもらっていますが、
絶妙なバラエティ性はもちろん、裏に流れる大きな愛(というのですかねぇ)が
とても素敵だな、って思うのでした。
・・・って、全然違うことを書いてしまいました(笑)
そうですね。
わたしも、肉を食べることは自然界では当たり前のこと、
その程度に思っておりました。
でも、わたしが肉食をやめよう、と決定的に思ったのは、
・1キロの肉を精算するために大量の穀物が使われていること
・トサツの現場があまりにもひどいという動画をみたこと
・人間の身体にとって、肉はかなりの負担であり、栄養学的にも実は必要ないモノであること
(マクガバンレポートなどより)
・使われている飼料の質があまりにも問題であること(遺伝子組み換え、抗生物質・・)
などではなく、
やはり本能的なところでした。
ですが、わたしは、肉食をしている人を責めるつもりも、
あらためて!と思うつもりも全くなく、
自分自身はそういう選択をした、という認識です。
息子たちには、今は健康的な懸念から肉をあげていませんが、
息子たちがいろんな情報を加味して、肉を食べる、という選択をした場合は
わたしは、それを尊重することにします。
結局はいろんなカタチで命をいただいている。
花命先生がおっしゃるように、肉食と命をこのような土俵に上げて
選別しようとすること自体が思い上がりなのかもしれません。
そして、こういうことを考えていられるのは、
今の恵まれた環境のおかげなのだと思います。
本当に、すべてに感謝しかありません。(って何かの宗教みたいですね(笑))
なんだかとっちらかってしまいましたが、
先生からのコメント、嬉しかったです。
ありがとうございます。
以前ブログにも書いたことあるんですが,私も7年ほど全く魚系も摂取しなかったことあります。
といっても,理由は治療のためで。
実は今でも,肉食べると翌日は朝,視力が出ません。
肉食がアカンという論文,かなり出てますが,未だに決定打がないのがツライとこなんですよねえ。
逆に,子供にはある程度は必要とも言われているし,そこは難しいところです。
屠殺の現場は確かに悲惨です。
でも,植物に意識があるとすると,刈取りからの工程をどう理解するのか?
あれが動物であれば,とんでもない苦痛でしょう。
私は,その手の力はありませんが,花を生ける時に,花を手にします。
その時に,花から数回ぼんやりとした叫びにも似たメッセージをのような受け取ったような感じがあり,それから,鋏を置きました。
科学的にも,証明されつつありますから,おそらく私達が分からないだけで,植物にも意識はありそうです。
そうなってくると,食べるものがなくなっちゃいますからねえ。
線引きは難しいです。
特に子供の教育にも関わる部分では,相当難しいかと。
ウチの次男が,大学でその壁にぶつかってます。
相当タフに育てたつもりでしたが,それでもかなりダメージあって学校やめる寸前でしたから,過度に命の大切さを教えてしまうと,危険だとは感じているんです。
それがコメントした一番の理由です。
いずれ,このへんいついてはコメントします。
ちなみに,治療は先天性の心臓疾患で,大学病院で気功の治療を受けてました。
おかげで,長年受けてたら,修行も勉強もしないのに使えるようになってしまったし,レイキも面白半分で講習を聴きにいったら,セカンドまでは使えてるしようだし,あんまり本人の意志は関係ないみたいですねえ。
花命先生へ
たびたびのコメント、ありがとうございます。
実は、昨日、長野県松本食肉衛生検査所というところへ
1日民間検査員という立場にて、と殺の現場を間近で全行程みてまいりました。
返信が遅くなってしまったのはその経験を経てから、お返事したほうがいいかと思ったためでした。
先生がおっしゃるように、植物の意識、言葉、立場?を考えると・・
同じような問題なのかも、と思っておりましたが、
昨日、あの現場をみて本能的に感じたことは、
今、ここで1日何百頭という動物に向けて行われていることは
間違いなく、自然の摂理に反しているということ、
殺人と何ら変わりがないということでした。
あくまでも、わたしが今の知識レベル、意識レベル、いろんな今の環境において
感じられたことですので、個人的なことになりますが。
植物をいただくこと、
食肉を文化としてきた先住民や、
野生動物の性質とはそもそも同じ土俵で考えるものではない、
それがわたしの体験した中での感想です。
ましては、たくさんの食べ物の選択ができる環境で
あえてこの選択をする必要は本当に、全くないのだ、そう思いを固めてきました。
子どもへの伝え方となるとまた問題ですが、
わたしの中の軸がひとつ、固まりましたのでバランスよく、精一杯のことをやって行かれればと思っています。
線引き・・は、その時々で判断していきます。
きっと、花命先生が無意識にレイキを使えるようになってしまったように、
息子たちにも、自然と合った能力と流れがやってくるように思えるので
今回、花命先生のお考えをこうやって伺うことができて
本当に嬉しかったです。
ありがとうございます。
ヴェジタリアンを批判する常套句に「植物だって同じ命じゃないか。どうして植物はよくて動物は駄目なんだ」というのがあります。
私はこれについては「だったら、どうして人間を殺して食べては駄目なんだ。動物も人間も同じ命じゃないか」と言いたいです。(共食いだから?でも共食いする生き物もいます)
「同じ」というのは詭弁です。意識とか命の尊さが同じではないという意味ではなく、命を奪って食べる事の抵抗の度合いの事ですが。
コメントにもありましたが、「自分で殺して捌けるものを食べる」というのが多分目安なのだと思います。
大抵の人は「植物、魚」までは自分で命を奪えると思います。(因みに食べるためではない、魚を苦しめるだけの遊びの魚釣りは絶対にしたくないです)
でも、魚は到底殺せない、だから食べられないという人もいるでしょう。また、植物も殺せないから木から落ちた果物だけを食べる人たちもいます。
(本当に食べるものが何も無い、牛や豚を殺すしか食べ物を得る方法が無い、という状況だったら、私も動物を殺すかもしれませんが・・・)
理想は「不食」なんですけどね^^;
日本にも、確か6年間?何も食べていない・飲んでいない弁護士の男性がいます。(本も出ていたはずです。「食べない人たち」だったかな?それによると不食は誰でも出来るとか何とか・・・本当かなあ?^^;)
インドでは、24時間完全に監視体制の中、400日以上水しか飲んでいないと証明された人もいました。
ラリマーさんへ
お返事遅くなってしまってごめんなさい。
先ほど2回目のコメントをいただいておりましたが、
決して問題があって承認しなかった、というわけではありませんでした。
(承認しないのは明らかなスパムだけです。すべて、いただいたものは反映いたします。)
花命先生へのコメントにも書きましたが、
昨日、と殺の現場をみることを予定していましたので、
その後のほうが、よりラリマーさんのお考えを理解できると思いましたし、
わたし自身の考えがしっかりした上でお返事できると思ったからなのでした。
お気遣いいただいてしまい、申し訳ありませんでした。
わたしも、ブレサリアンになりたいなーって思っています。
ロシアにはブレサリアンカップルがいるみたいですね。赤ちゃんも、ブレサリアンなのだとか(!)
死後の世界?では不食のようですし、いずれ流れとしてはそちらにいくのかもしれませんね。
そして、昨日、全身を使って体験させてもらったことから、
わたしも植物と動物、特に今の食肉という名の下に大量生産をする仕組みにおいてのと殺
においては、同じ土俵で語るものではない、というのは本能的に強く感じました。
大量の機械、水や電氣といった資源、そして人。
それらを投じて壮大な悪夢を展開している、狂気、悪趣味の極み。
それが、わたしの率直な感想です。
関わる人を責める氣も、食べる人に強要する氣も全くないのですが、
ただ一つ、食べるという選択をした人には、一度は見てきてほしいと思います。
これは、いずれブログに書かせてもらおうと思います。
ありがとうございます。
先日のコメント承認されなかったようですが、やはりあの部分が問題でしょうね。。。。すみません。
以前、ヴェジタリアン関係の掲示板などを読んでいた時、あまりに何度も同じ趣旨の批判が繰り返されていたのを見て「いやいや違うだろ。ちょっと視点を変えてみたら分かるだろうに」と思ったのをそのまま書いてしまいました。(投稿した後、ちょっとまずいかなとは思ったのですが・・)
「大抵の人は、植物と魚は自分で捕らえて食べる事が出来る」「自分で殺生できるものだけを食べる」と書きましたが、考えてみると私は実際に魚を殺す事にはかなり抵抗があります。あさりなどの貝も、お味噌汁に入れて・・・というのが凄く嫌ですね。
この理屈で言えば、やっぱり私は魚介類は食べない方がいい、本当はヴィーガンになった方がいいんだろうな・・・。
早とちりをしてしまってすみません^^;
と殺場に行かれたのですね。私は実際に見た事は無いのですが、現場を見に行く事は本当に意味のある貴重な体験だと思います。
この社会には、「法律上で犯罪となっているので、それをやると裁かれて刑務所に行く犯罪」と「法律上で犯罪となっていないから、それをやっても裁かれて刑務所に行くことはないが間違いなく犯罪(倫理的に完全にアウト)」の2つがあると思っています。
「動物を食用目的で飼育し大量虐殺する事」「動物を(主に犬や猫)ガス室で大量虐殺する事」「戦争で人間を大量虐殺する事」・・・全部、現在の法律では”犯罪”にはなっていないですが、普通に考えればすべて恐ろしい犯罪で、他にもこうした事は幾つもあります。
人間の作った法律はあまりに不十分というか、感覚的な倫理観と乖離している部分が多い。
常に手直し・進化している面もあると思いますが(その逆もありますが)「何でこれが犯罪じゃないんだ。どう考えてもおかしいだろう」と思う事がちょっと考えただけで幾つも思い浮かぶほどザルです。
本当は「法律」など必要ではない社会が理想なのですが、こうした乖離が少しでも縮まる事を願っています。
ラリマーさん、こんばんは。
返信遅くなってしまい、ごめんなさい。いえ、こちらこそ承認だけでも早くするべきでした。次回から(今回から?)承認はちゃんとしますね!ありがとうございます!
さて、本当におっしゃるとおり、今回体験して感じたことはラリマーさんが書いてくださっていることがほとんどでした。
記憶が薄れないうちに(そうそう薄れるものではないくらいのインパクトでしたが・・)まとめてみようと思います。
いつも、ありがとうございます。
こんにちはー(^^)/
こどもたちに納得できる答え。
なんかないかなーってボクも考えたんだけど…考えれば考えるほど答えが出ない。
コメントをしてくださったみなさんの意見もなるほどなって思いました。
食肉に関するいろんな情報。調べれば調べるほど、知れば知るほどに、たぶんボクも肉が苦手になると思います。
だから、知ろうとしないですし、調べようとも思いません。 肉、美味しいですもん(^_^;)
野菜(植物)もおなじ、いのち。
切られて、刈られてうれしいはずはないと思います。
肉や、野菜は人間のからだに入って、血となり肉となり。ですが、お花は見るだけで捨てられます。
よくテレビに出られる華道の先生。假屋崎さんも素晴らしいお花を活けますが、そのあとどうするのでしょうか。 捨てるのかな…土に埋めるのかな。
ある意味、大量に殺していることになります。あ、でもひとに感動を与えているからいいのかな。
姪っ子が、お母さーんきれいなお花あったー。と、道端に咲いてるお花を摘んできて、花瓶に差して、数日後にはゴミ箱にいく。
ボクにはできない行為ですが、微笑ましく感じます。
コンビニで働いてると、毎日、人間のからだに入るために加工された、お肉や、野菜がからだに入らないで(賞味期限が切れて)捨てられていきます。それも、ものすごい量です。
挙げたらきりがないのでこのへんで(^^ゞ
車を走らせるのにも、ひとが生きていくのにも、なにかしらのエネルギーが必要で…
氣(水とか)で車を走らせたり、氣でおなかがいっぱいになったり…そういう時代はくるのでしょうか?
少しずつ少しずつ、改善されて変わっていくのかな?って思います。
ものも、いきているものも、ひとの考えも、ものすごい量ですし、種類もすごいので、これだ!っていう答えは難しいですね。
意見を押し通そうとすれば、戦争にまでなります(^_^;)
人間が生きていくには食べなくちゃいけないので、しょうがない部分(不条理?)も出てくると思います。
みんなそれぞれ、感じて、思って、考えて…
それでOK!なものを食べる。ではどうでしょうか。 ものすごく長くなりましたが(^^ゞ
みなさんのコメント、いろいろと勉強になりました。 ありがとうございますー(^^)
daiさんへ
コメントありがとうございます!
ここら辺は、今でも難しいです。
その後の見学で、わたし自身は決意を固めたのですが
根本的に「みんな命ある」というところへの解はないのです。
ただ、肉食に関して言えば生産工程や仕組み自体が明らかに狂っている状況であり、
肉食自体に関しての議論ではないのですよね。
先日も、息子が主人が買ってきたかまぼこを見て
お魚さん、かわいそうだからやめようよ・・
って言ったら主人が強く「でもお米だってお野菜だって生きてるんだよ!!」
と返していて混乱していました・・・
不食の人の話題をちょくちょく耳にするようになりました。
プラーナで生きていく時代が・・早く来ないかな・・