あえてその選択をするのであれば
今回は長いです。
そして、内容としては淡々と記録として綴りますが、覚悟がいるかもしれません。
でも、多くの人に読んでいただきたい、そう思います。
前の投稿で、植物も動物も同じ命じゃないか、
線引きをすること自体、そもそも違うのではないか・・・
長男の深い質問に、うまく答えを見つけられなくて、モヤモヤしていたとき、
すごくいいタイミングでと殺の現場を見学することになった。
といっても、「もう、動物を食べ物として扱うのはやめよう」と思いを新たにしてから、
やはり一度は見ておかないと、と友人と見学に行くことにしていたのだった。
だいぶ前から見学を決めていたのに、日程が近くなると何かが起こり、
今回も直前までいろいろ起こって、さすがに自分自身の覚悟を問われているようだった。
そう、覚悟。
直前まで正直、いやだった。
だって・・ね・・・わかってるもん、悲惨だって。
でもね。
自分の意見として、人に話す機会があるのであれば、
わたしはやっぱり「体験」を元にして伝えたい。
そうでないと、自分自身に対しても説得力がないと思ったから。
なので、意を決して出かけていった。
前置きが長くなったけど・・・・
見学をさせてもらったのは、長野県松本市にある「長野県松本食肉衛生検査所」。
ここは、と殺から食肉加工までを行う民間会社の敷地内に
公的機関である「衛生検査所」が併設されているという仕組みになっており、
今回は、民間の衛星検査員という立場で過程を検査するということで見学をさせてもらった。
まずは、担当の職員さんがこの検査所の由来、食肉の簡単な歴史、
そして本日の流れを説明してくれた。
そもそも、明治4年に食肉衛生行政が発足してから、
国として食肉を管理することになったということだ。
明治維新で肉を食べるようになってから、各業者が好き勝手やり始めて問題が起こるようになり、国が乗り出したのだ、という話だった。
そして明治22年に衛生管理は警察の下で行うようになった。
以降、食肉衛生検査所というものが、どのような経緯でできたのかという内容が資料に書かれていたけれど、あらためて・・・食肉の歴史って本当に浅いんだなぁ、と感じた。
もう、当たり前のように、むしろ「食べなきゃおかしい」くらいに根付いているように見えるけど、
ちょっと紐解けば全然文化でもなんでもないんだな・・と思ったのだった。
いただいた資料。かなりの充実度だ。
で、いよいよ見学。
その日は、牛さん、羊さん、豚さんの予定だった。
資料の数字からざくっと計算するだけでも、一日150頭以上の動物たちが、
ここの敷地内でと殺(言葉では、と畜、と表現されていたけど)されている。
流れとしては、牛→羊→豚の順番だと言うことで、すべて見せてもらうことにした。
頭には衛生帽子とヘルメット、身体には全身を覆える軽めの防護服?のようなもの、
そして長靴、手袋という姿になり、まずは牛さんがいるところへ行った。
待っている牛さんは3頭。
職員さんは、あくまでも衛生検査の流れを説明してくれるので、
この段階で、こうやって病気を持っているかどうか見分けるんですねー
と淡々と話してくれる。確かに、こぶのようなものができている牛さんもいる。
人間だって、パーフェクトな状態な人はいないものね・・・
全体的に、効率と衛生を考えて運営されているので、
しきりと消毒液みたいなものが散布されていて、導線にもあまり無駄がない感じだ。
牛さんがトラックから降ろされて、入る場所。そしてと殺される場所。
実にスムーズな導線だった。
最初にみた光景は、牛さんをガンで倒れさせ、
のどの部分を切り裂いて血を抜いていくところだった。
暴れて抵抗する牛さん。
あまりにも暴れて前に倒れている牛さんの上に乗っかってしまった牛さんを担当の人が蹴る。
身体が大きいから、仕方ないことなのかもしれないし、
ここで行われている根本的なことからすれば些細なことなのだろう。
ガンをあてられた牛さんは倒れるが、足がけいれんしている。
素早くのどのあたりが切り裂かれ、大量の血が流れてくる。
次の瞬間、足にわっかをはめられ、宙づりになっていく。
その後は、ベルトコンベアーのように淡々と、作業がなされていく。
内臓を抜き、抜いた内臓は逐一検査を行う。
ほとんどがベテランの職員さんの目視によってよりわけられていく。
無造作にかごに分けられていく内臓。切り落とされていく足、頭。はがされていく皮。
そして、どんどん流れてくるカラダ。
いろんな検査を経て、枝肉になり、最後は塩素で消毒し、
最終検査を経て、検査済みのハンコが押されるのだ。
こうして、肉体は「食肉」となっていく。
横で職員さんが、詳細に衛生検査の観点から流れを説明してくれる。
そして、すごく近くで見せてもらった。
大量の電気、水、クスリ、人。絶えず資源を使い続けて、加工されていくのだった。
基本的な流れはどの動物も同じだった。
羊さんは見に行くのが遅くて、すでに皮をはがされた状態のところからしか見られなかった。
豚さんは・・一番人間に近い氣がした。
豚さんは、数も多いので、上り坂になったベルトコンベアーを上らされ、
頂上のあたりでショックを与えられ倒される。叫び声を上げながら抵抗している。
ショックを与えられる瞬間に、大きな叫び声がする。
倒れた後、牛さんと同じように切り裂かれるのだろう。その瞬間でも足がバタバタしている。
でも、あっという間に手際よく、宙づりになり、「肉」となっていく・・・
これがこの施設だけでも、年間4万頭弱行われているのだ。
育てるまでに大量の飼料を必要とすると言われている畜産。
そして、今回の見学で加工して流通するためにも、かなりの資源やお金がかかっていることもわかった。
そして、何より。
これは、大量殺戮以外のなにものでもない。
植物と同じ土俵で語るには、あまりにも違いすぎる。
よく、どこかの国が先住民が・・とか、文化として・・
とか食肉文化について書かれているのは目にするけれど、
今見ているものは、まったく違うものだ。
どうして、こんなことを国をあげてやっているのだろう。
悪趣味の極み。狂気の沙汰。
正直にいうと、このような言葉になってしまう。
本当に、お肉は食べないといけないのだろうか。
今、出回っている教育向けの資料は「お肉は食べないと!」という前提で書かれているので、
感謝して食べましょうね♪のレベルで終わっているのだけど、そういう問題ではない。
わたしは、食肉に関わる人や食べる選択をしている人たちを非難する氣も、
自分の思ったことを押しつけるつもりも全くない。
ただ、単純に思う。
こんなに、選択ができるこの環境で、あえて選択をする必要があるのだろうか。
もし、あえてその選択をする、というのであれば
一度、見学に行ってほしい。自分の目で、鼻で、耳で感じてきてほしい。
そして、わたしは次は肉を前提としない栄養学を学んでみたいと思っている。
長文におつきあいいただき、ありがとうございました。
ディスカッション
コメント一覧
Miyoさん、
いつもブログ拝読させていただいてます。
もっと早く、コメントしたかったのですが、なかなか気が向く事がなく、今日まで来てしまいました。。。
今回のエントリーは、真髄に響くものがありました。。。私もかつて、焼肉屋でバイトとか、肉屋さんでバイトしていたこともあり、今はすっかりベジタリアンですが、食肉に関しては、色々思う所はあります。
やっぱり、こういう世界は人間として肉を食べる食べない以前に、そういう事実がこの世界で現実として日々起こっていることなのだと、誰もが知る義務があるような気がしています。。。
知る知らないは確かに自由なのですが、何処かで人は「自由」と言う言葉さえも、自分勝手に解釈して、都合の悪いことからただ目を逸らしている、そんな気がします。。。
Miyoさんの貴重な体験をシェアしていただき、本当に心から感謝しています。ありがとうございました。
Eriさんへ
こんばんは。ご無沙汰しております。
そして、コメントをいただき、ありがとうございました!
こちらはすっかり朝晩は晩秋の気配で、ストーブが活躍中です。
Eriさんの火の施術を受けに行きたい・・ううう・・
さて、今回の体験は、いい悪い、スピリチュアル云々を超えて
自分の中にある感覚を確認するような、深い部分への響きがありました。
感じ取っていただき、ありがとうございます。
こんな風に「大量の動物を劣悪な環境にぎゅうぎゅうに押し込めて飼育し、工場で大量に殺す」という形は、日本だけではなく世界的に見ても、ある意味ごく最近の話だと思います。
その「おかげ」で、誰でも食べたいなら毎日、いや毎食でも牛や豚や鶏の肉が食べられるようになった訳ですが、それが恩恵なのかどうか。
動物にとっては最悪ですが、食べる人間にとってもどうなのか。
大分前に亡くなった、ベティ・シャインという有名なイギリスのヒーラーが「動けないほど狭い所に押し込められた大量の鶏」を見てショックを受け、「こうした事は必ず人間にカルマとなって返ってくる」と感じたそうです。
「与えたものが返ってくる」と言いますが、人間が動物にした事(植物にもですが)、している事を考えると・・・・実際、もうかなり「返っている」のかもしれませんが。
ラリマーさんへ
お返事遅くなって申し訳ありません。
ラリマーさんが前の記事で書いていただいたことが、あまりにもわたしが見てきた時に感じた内容だったので
そこに尽きるのですが、やっぱり食べる以上は見ておいてほしいですね。
そして、一人一人が自分の中にある感覚を感じ取ってほしい、そう思います。
小さい頃、小さな虫さんをみて、踏まないように一生懸命だったこと、
そして一方で蟻さんの巣に水をいれてみたり、という自分の中にある残虐性みたいなもの、
そういう矛盾とどう折り合いをつけていこうか、悩んだことを思い出しました。
でも、やはり「ここは超えてはいけない」という一線があったと思います。
その、一線、を今回の光景は明らかに超えていました。わたしにとっては。
ああ、なんだかわからなくなりましたが、
みんなが平和に暮らせる世界を心から望みます。
いつも、ありがとうございます。
日本人が今みたいにお肉を食べ始めたのはいつだったのかを知らなかった。
明治維新ってホントに色んなことが起こったんだな…と。
見て
聞いて
感じる
そして、自分で決める。
あたしも一度行ってみます。
みよさん、シェアをありがとう!
sayaさんへ
いつもありがとうございます。
特に、コメントしにくい内容だったんじゃ内かな・・と思うのです。ありがとうございます。
そう、感じる、それが大事だと思うのです。
いい、悪い、そう議論をしているうちは、変わらないように思います。
ありがとうございます。
miyoさん、書いてくれてありがとう!
そっか、日本人って明治まではお肉食べてなかったんだよね。
やっぱり食べる必要ないなってあらためて思ったよ。
体験をシェアしてくれて、本当に感謝しているよ!ありがとう!
じゅのさんへ
こちらこそ、読んでくださってありがとうございます。
江戸時代は、鶏肉は食べていたみたいですね。
ただ、4つ足の動物を日常的に食べるような仕組みができたのは、明治時代以降みたいです。
魚はどうなんだ、じゃあ、鶏はいいのか、植物だって・・
線引き自体が無意味だなぁ・・と思う今日この頃です。
じゅのさんが、最近おっしゃっていたように、「感覚」を信頼していくことが大切なのかと。
そして、その感覚、をどうやって研ぎ澄ましていくか、自分が無理しない行動をしていけるのか、
バランスが大事だなぁって思います。
いつも、ありがとう。
福の神じゅのさんへ☆
みよさん
おはようございます。
行かれたんですね。
よく頑張りましたね。
心からの叫びが溢れて溢れて、
大変だったでしょう…。
こうした思いを共有できる人が中々周りにいないので、
切ないし、何も出来ない自分の無力を感じますね…。
肉の無い食卓で何も問題ないどころか、とっても自然だと思います。
人間本来持っている身体の内なる欲求に従えば、肉は自然と遠ざかると思うのですが…。
今、私たちが生きている環境の悪化が、内なる声を聞こえなくさせているのでしょうか…。
こうした食生活の乱れがますます悪循環となり、身体を狂わせますね。
だから、みよさんは自然とお山に向かったのでしょう!
大好きだった祖母も、お肉を一切口にしませんでした。
93歳で天に召されましたが、最後までとても元気でした。
祖母の時代は、現代のような肉にあふれた食卓は考えられなかったようです。
母も肉を好まず、私もそれに習ったというかんじです。
南麓の
カフェ・ピアニッシモ
この前訪れた際行ってみましたよ。
お野菜だけのプレートがボリューム満点でとても美味しかったです。
お子ちゃまもきっと好きなメニューだと思います。
機会があったら行かれてみてね!
ちびコーギーさんへ
読んでくださって、そしてコメントをいただき、ありがとうございます!
こうやって反応してくださることが、どれだけありがたいことか。
ありがとうございます。
実はですね。
見学している最初は、驚きと「なぜ???こんなことを???」という疑問。
そして、あまりにも仕組み化されて、手際よく処理されていく光景だったので
だんだんと、まるで映画をみているような錯覚を覚えました。
(シーンとしては・・湯ばあばみたいなああいう感じです。)
あの光景がある限り、戦争はなくならないだろうな・・なんてぼんやりと考えていたりして。
とにかく、冷静に淡々と眺めている自分にちょっと驚きました。
あ、でもやっぱり泣きましたけどね。
ちびコーギーさんは、身近にお肉を食べない方がいらっしゃったのですね。
お肉を食べなくても健やかでいられる、というのはやはり実例に優るものはありませんよね。
わたしも、完全にやめよう、と踏み切れたのは叔母がお肉を口にしなくても元氣でバリバリ農業を一人でやっていられる姿をみたからでした。
わたしの母も、最初は心配しましたが、叔母の例を伝えると「そうだわね・・」と納得して、今はほとんど食べなくなりました。
少しずつでもいい。
何かがおかしいのだ、という感覚を一人一人が取り戻せたら・・
きっと、世界は変わるように思います。
カフェピアニッシモ、いいなー
わたしも近々いきます!!!
いつも、ありがとうございます。
同感です。
ミーカチントさんへ
共感していただき、うれしいです。
ありがとうございます!!
おひさしぶりです
ちゃくちゃくと
一歩一歩進んでいらっしゃるのですね♪
miyoさんが
目の前の事象や
ご自身の心に
深く真摯に向き合っていらっしゃるなぁと
感じました。
miyoさんの体験を
ドキドキ読ませていただきながら
お肉を美味しいなぁ~としか
思わずに口にしていた
愚鈍さにあらためて驚きました。。。
本当は気づいていたかもしれないけれど
構わずに食べたいから
身体に必要だからと理由をつけ
真実に向き合うことを怖れ
避けていた自分。。。
経験を伝えてくださり
ありがとう!
また遊びにきます
えこさんへ
お久しぶりです!
えこさんのブログ、読ませてもらっています♪
ちょうど長男も甘えるときにやってくることを書かれていたのでドキドキしながら読みました。
そして、今回の記事も読んでくださってありがとうございます。
なかなか、コメントしづらかったのではないでしょうか。ありがとうございます。
わたしも、つい最近までお肉おいしいなーっていただいてたので、
えこさん、どうぞご自身を責めないでくださいね。
でも、あれ??ってもし少しでも感じられたら、ちょっと見直してみてください。
わたしもずっとどこかで避けていたな・・と感じていたのですが、
ある日思い切って「肉食に関する情報を集めて、自分で考えてみよう」と覚悟を決めたとたん、
いろんな情報が入ってくるようになりました。
最初はつらかったです。表現しようのない罪悪感、怒り、いろんなものがわいてきました。
時には、そういう投稿をしている人を責めそうになりましたが、
ぐっと自分の中を見てみると、根底にあるのはやはり罪悪感でした。
そこを自覚したとき、また一つ、何かが進んだ氣がしました。
完全に食べないなんて無理!と思ったこと、今は全然問題ないです。
ペースもそれぞれですし、やはり「いい悪い」ではないのだと思います。
えこさんの感覚を大切に、えこさんご自身のバランスで楽しんでくださいね。
ありがとうございます!
ん~………ちょっと考えかたが変わってしまうかも…。
Miyoさんが体験した文章を読んでしまったら…
場面がありありと浮かんできて、重くなりました…
機会があったら、自分も体験してみるのも悪くはないな…
実際目で見て、あーだこうだ言うべきですね(^_^;) 貴重な体験をありがとうございました
飛び飛びになるかもしれませんが、ほかの記事もまた読んで、学ばせていただきます
daiさんへ
ありがとうございます!!
そうなんですよね。
これは、仕組み自体の問題化と。
でも、かなりのインパクトでした。
明らかに、狂氣の沙汰でしたね・・・
ぜひ機会があったらご自身の目でみてみてくださいね。
ありがとうございます