「足りない」の意味

ここのところ、ちょっとテンションが下がり気味だった

どうも、自分の「足りない」ところに目がいってしまったのだ。

昔から、私はある程度なんでもこなすことができた。
一方で、抜きん出てできるもの、胸をはって「得意分野です」と言えるものがなかった。

だから、何か一つ、ものすごく出来るモノを持つ人がとてもうらやましかった。

勉強も、運動も、音楽も、趣味も、仕事も・・・
ある程度はできるけど、それだけ。

それが私のコンプレックスだった。

私にはなんで、得意分野がないんだろう。
何が、足りないの?
たまに陥る自己否定のパターンだ。

自分がたまらなく、中途半端に思えてくる。

スピリチュアルをある程度学んで、それなりに実践もできるようになってきたけど、それは所詮、かじっただけ。そんな私に何ができるというのだろう。

足りない、足りない・・何が?

こんな問いかけの繰り返し。

そうすると、周りがどんどん輝いて見える。
自然と比較してしまう。

あの人はいいな。ああなりたいな・・・

なんてね。

そうすると、あまり人にも会いたくなくなって、殻に閉じこもりそうになってしまう

ここ1週間、そんな感じだった。

でも。
お腹の子供のおかげか、スピリットガイドさんのおかげか、こういう感情が渦巻いていても、身体の内側にとても強い光を常に感じられていた

大丈夫
そんな、絶対的な安心感。なので、深みにはまることはなかった。

そして、そろそろ、抜け出さないとねー
そんな声がどこかから聞こえたような気がした今日。

とても勇気をもらうランチの機会をもらえた。

出会ったときからたくさんのシンクロがあり、リコネクションのタイミングもほぼ同じ、いろんなご縁でつながっているあやさんとのランチ

最近、あやさんは「動」の時期だ。
chiexさんとコラボワークを始めたり、めまぐるしく、たくさんの動きがやってきている。
スピリットガイドさんとつながって流れに乗るとこうもたくさんのギフトがやってくるものなのか、という歩くお手本のようなあやさん。

一方で3次元的には「静」の時期の私。
彼女の体験を聞いているだけで、自分ができないことを彼女が体験してくれているような、とても嬉しい感情が自然とわいてきた。うらやましい、という感情とは別次元のものだった。

そうだよね、人生はみんなオリジナル。
比較すること自体がナンセンス。
自分ができないことは、だれかがやってくれているのだ。
足りない、ではないのだね。

「足るを知る」「唯我独尊」
この1週間、ずっと頭の中をちらついていた言葉だ。

唯我独尊は、とても素敵な内容をきょうこさんが記事にしてくれた。
足るを知る、いろんな角度でメッセージが入ってきたけど、ようやく今日、ストンと入ってきたようだ。

そういえば、仕事でいろんな分野を経験することによって、決して「素人」ではないけど、「玄人」でもない、中途半端な位置にいることがとても居心地が悪かったな。
でも、そのおかげで、全くわからない人たちと、専門家を繋ぐ時にとても役に立ったっけな。

スピリチュアルの世界でも、もしかしたら、そういう架け橋のような役割ができるのかもしれないな。
そう、ぼんやりと考えてみた。

やっとスッキリしたので、いろいろはかどった。
久しぶりにお風呂にゆっくりとつかってみよう