いろいろと、分かれていく時。

2023年4月20日

ここのところ、久しぶりに感情が大きく揺さぶられることがたくさんありました。

 

わたしの場合、行動の癖で、そういうときはとてつもなく頭が動いて、たくさん仕事を自分の周りにまとうことで、感情の波を隠そうとするのですね。

 

今回も、案の定、たくさんのやることに囲まれて、なんとなくモヤモヤを抱えながら過ごしていたところ、

ついにカラダが悲鳴をあげ、右肩下が氣持ち悪く、痛く、どうにもこうにもならなくなりました。

 

信頼していた方の態度が、また、わたしのモヤモヤを引き出してくれました。

 

わたしは、今までの仕事柄、整合性をとったり、相手の心情を読みながらシミュレーションして先回りした氣配りをしたりと想像力を働かせて、動くのが自然にできるわけなのです。というか、そう動いてしまうのです。(ヒューマンデザインでも、そこらへんがくっきりとでている)

 

なので、細かいちょっとした態度や言葉にとても敏感に反応して、ざざざっと状況を判断したり分析したりするわけです。

それは、とても強力な能力でもあるわけですが、やっかいなものでもあり。

 

今回はやっかいな方向へ作用しました。

 

なんで、そんなこと言ってられるわけ

なんで、そんな態度をとって一言も謝らないでいられるのだろう

フツウ、そういうことを言うときはもっと早く言うよね

 

などなど・・・

 

まあ、小姑のごとくいろいろ「自分の中では常識」な枠にあてはめて、ジャッジの嵐になるわけです。

 

こういうときは、自分で客観的にみているとしても、感情が波立っていて、心穏やかではないのです。

でも、それは抑えるのではなく、受け止めて、昇華して。

 

こういう感情が波立っているときにとる行動は、ろくなことになりません。(ヒューマンデザインでもそこはでてる)

でも、ちょっと行動してしまって、ろくな結果になりませんでした(笑)

わかっていても、やってしまうものですね、いくつになっても・・・

 

それでも、いろんな人に助けてもらって、やっと穏やかになりました。

 

あらためて、わたしが今回から学んだことは、自分の細かさに縛られるのはあまり心地よくないなということ。

 

それに加えて・・・・

 

結局、どんなに言葉で良いことを言っている人でも、どんなに「ああ、この人はステキ」と思っていても、

行動が伴わなければ、それはわたしには響かないということ。

 

今回、わたしが困っている時に、行動してくれた人、言葉だけだったとわかった人。

 

はっきりと分かれたなーということがよくわかりました。

 

でも、だからといって、この先ずっと、その人がどうこうっていう「枠」を入れるのではなく、

今、この瞬間において、行動をとってくれた人がいるありがたさ。

そこにフォーカスをしようと思います。

 

いえ、言葉でも、思いを寄せてくれることだけでも、ありがたいんですけどね。

それはわかっているのですが。

 

行動してくれるって本当にありがたく、素晴らしいことですよね。

 

 

 

 

 

原村生活

Posted by Miyo