松果体と、紫水晶とまだ残っていた感情と。
昨年の冬至から、ずっと続けている瞑想。
瞑想が苦手だったわたしも、なんとか続けられる方法を教えてくださったので、自分でも驚くくらい続けられています。
そして、そんな中、いろんな流れが起こりまして、すべてがつながってご縁ができています。
まずは、この本。
今、参加させてもらっている朗読会で、同じく参加している方が紹介していた本。
合氣道の身体の使い方、呼吸、そして至高体験・・・・
多くの氣になっていたキーワードが続出だったため、速攻で購入して読みました。
小学校時代、大の野球好きだったわたしとしては、いろんな意味で楽しめましたが、
やはりその中でも、榎本さんがやっていらっしゃった、呼吸や丹田への意識の部分は本当に興味深いものでした。
そして、読み終わった直後に、また違う方に松果体を意識した瞑想がいいよ、と教えてもらいました。
今、やっている瞑想に早速とりいれてみると・・・
キラキラと光るアメシストのような、薄い紫の水晶のようなものが、わたしの中にあって、
そこに意識を向けていくと、キラキラが増し、ひかりが大きくなっていく・・・
本当にそれはとっても美しいものでした。
ああ、なんて氣持ちがいいんだろう、と眺めていると、
そこから沸き上がってくる一つの感情。
もう、手放したと思っていた感情がでてきました。
うらやましい。
いいな。
あんな風になれたらいいのに。
わたしも、もっと認めてもらいたい。
もう、何度も「これはもういいのに」と思っていた感情がでてきました。
ヒューマンデザインでも、「認めてもらいたい」というゲートが開いている故、
これはもう仕様なのですけどね。ここに蓋をまだしていたなぁということが自覚できました。
結局、わたしがなにかに引っかかるときは、たいていはここなのです。
それも、認めてあげて、味わって。
これでいいんだよ、とリラックスできる自然体でありたいと思います。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません