松果体と、紫水晶とまだ残っていた感情と。

2019年2月11日

 

昨年の冬至から、ずっと続けている瞑想。

瞑想が苦手だったわたしも、なんとか続けられる方法を教えてくださったので、自分でも驚くくらい続けられています。

 

そして、そんな中、いろんな流れが起こりまして、すべてがつながってご縁ができています。

 

まずは、この本。

今、参加させてもらっている朗読会で、同じく参加している方が紹介していた本。

合氣道の身体の使い方、呼吸、そして至高体験・・・・

 

多くの氣になっていたキーワードが続出だったため、速攻で購入して読みました。

 

小学校時代、大の野球好きだったわたしとしては、いろんな意味で楽しめましたが、

やはりその中でも、榎本さんがやっていらっしゃった、呼吸や丹田への意識の部分は本当に興味深いものでした。

 

そして、読み終わった直後に、また違う方に松果体を意識した瞑想がいいよ、と教えてもらいました。

今、やっている瞑想に早速とりいれてみると・・・

 

キラキラと光るアメシストのような、薄い紫の水晶のようなものが、わたしの中にあって、

そこに意識を向けていくと、キラキラが増し、ひかりが大きくなっていく・・・

本当にそれはとっても美しいものでした。

 

 

ああ、なんて氣持ちがいいんだろう、と眺めていると、

そこから沸き上がってくる一つの感情。

 

もう、手放したと思っていた感情がでてきました。

 

うらやましい。

いいな。

あんな風になれたらいいのに。

わたしも、もっと認めてもらいたい。

 

もう、何度も「これはもういいのに」と思っていた感情がでてきました。

 

ヒューマンデザインでも、「認めてもらいたい」というゲートが開いている故、

これはもう仕様なのですけどね。ここに蓋をまだしていたなぁということが自覚できました。

 

結局、わたしがなにかに引っかかるときは、たいていはここなのです。

 

それも、認めてあげて、味わって。

これでいいんだよ、とリラックスできる自然体でありたいと思います。