「楽して稼ぐ」に対するモヤモヤに向き合ってみる。
ネットでちょくちょく拝見する「誰でも月収○○万円!クリックするだけで!」的なものは、
かなりの確率でアヤシイので最初から見に行かないのですが(とはいっても、どんなものかな・・と評判などを調べてみる物好きなワタシです。)、
それでも最近はそれに近いような文言で、
「誰でも身につけられる」「楽して簡単に稼ぐ方法」
というようなスキームとか、手法とか諸々を目に触れる機会があったりします。
ずっとお金=働いた分の対価、という価値観のもとに生きてきて、
「がんばらないとお金はいただけない」という深いすりこみがあるわたしにとって、
こういうレベルのものもインチキっぽい印象を最初に持ってしまうわけです。
でも、一方でこういうものに対してモヤっとする自分のココロの内側をみてみたい氣持ちもあるので、ちょっと考えてみました。
*例によって長いですよ(笑)
お金を稼ぐとは、わたしにとってはお金をいただく=エネルギーの交換 という位置づけです。
今の貨幣制度などいろいろとモンダイがあれど、純粋にお金というものはエネルギーの標準化ツールであると認識しているので、
わたしは別に「悪」とも思っていません。むしろ、お金を通して交換したほうがまだまだスムーズに事が運ぶことが多いのが今の現状であると認識しています。
では、わたしのエネルギーを交換するにあたって、どこを基準にするのかな・・と思った時に、それはやはり、時間ではないということです。
(これは以前からちょこちょこ書いていますが、そこに至るまでかけたエネルギーや、そのパフォーマンスを出すためにかなりのエネルギーをかけているから、ということで。コンサルティングや無形のものに対してはほぼ共通していえることですよね)
でも、楽に、はわたしは良いと思うのです。
積みあげてきたもの、最初からもっているものをそこに苦労を伴わずにシェア、交換することで双方がしあわせになるのであればありですよね。
では、何にひっかかるのかというと、こういうもののほとんどに、
それをあたかも標準化していて、だれでも「すぐに」「同じやり方で、同じものを提供してできる」という印象を与えるところに
わたしはモヤモヤするんだなということがわかりました。
誰でも、それぞれの個性があり、バックグラウンドも違い、循環させられることは全く同じではないはずなのに。
そういうことをきちんと自分の内側と向き合うこともせず、表面的なもので解決させてしまおうとしているところに。
表面的なものでは、自分の本来のエネルギーを発揮できないから、純粋な交換ができなくなりますね。
純粋なエネルギー交換でないところには、搾取が生まれると思っています。
どちらかがどちらかから奪うことで得ていく形式ですよね。
残念ながら、そういうシステムが本当に多いのですが。
そういう搾取的な匂いがしてしまうから、わたしはモヤっとするんだなーと。
とまあ、こんなことをごちゃごちゃと考えていたわけで、結局なんなんだ、というところで
昨日は中断していたのですが、今朝自分のオーラにアクセスしにいって得たメッセージがわたしの答えだなぁということでした。
第3層:
せっせとお菓子を焼く女性。ああ、いそがしい。いそがしい。
でも、たくさんの人にお菓子をあげられて、しあわせ。
みんな喜んでくれるかなぁ。楽にね。ポッと作ることもできるんだよ。魔法を使ってね。
でも。今は自分で材料を選んで丁寧に作ってみたいの。
ひとりひとりの顔を思い浮かべながらね。
テレパシーが使えないからこそ、こういう様々なエネルギー交換の場があるんだもの。
それを味わわなくてどうするの?
わたしはそれがやりたいだけ。楽をしたいわけではないのよ。
まあ、長くなってしまいましたが、
あらためてわたしがやっていきたい方向が認識できたということでよかったよかった(笑)
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