見守り、委ねる

2019年2月11日

初詣に行った際、たくさんのお守りや絵馬をみてむかーしむかしの受験生活のことを久しぶりに思い出した。

第2次ベビーブーム世代の中学、高校、大学と受験を経験した私の思い出は、どちらかというといい思い出とはいえないかな。

中学受験は私立2校合格の上で臨んだ本命・・・不合格。
合格発表を見に行ってきた母親が帰宅時にため息まじりに「だめだったよ・・」と言って無言になってしまった光景をまだ覚えている。

私はすぐに受け入れられなかったのと、母親が落ち込んでいるから私まで落ち込んではいけないな、と子供心に思ったこともあり、「ふーん、そっか」と平静を装っていた。
それが裏目に出たのか、ひょうひょうとしていた私の態度が気に入らなかったらしく、その後お説教をくらった

私立だとどんなにお金がかかるのか、これまでどんなに苦労して塾にいかせてあげたのか・・・

今思えば、そのとおりのことだったのだろうけど、ちょっとね、悲しかったなぁ。

しかし、私は本当に運がいいというか・・・後日補欠合格の知らせが。
母親には「みんなには絶対に補欠合格したなんていっちゃだめだよ」と何度も言われ、「そっか。私はこの中でビリの成績だったから一番頭が悪いんだなぁ」なんて、なんとなく後ろめたい気持ちをもちながら入学式に出席したことも印象的だった。

そんなこともあり、中学入学早々から、高校受験のことを毎日のように口酸っぱく言われ続けた3年間。
その中学は、高校へは内申の成績と実際の試験成績で入学できる、ということがあって高校への合格率は半分程度。
親からしたら、ビリから半分以上にあがらせないと、ということで焦っていたのだろう。
部活動の禁止令が出て、とても寂しい思いをしたな・・・
バレー部に入りたかったなぁ。
2年生から、親を拝み倒して体育系ではないということで妥協してもらい、吹奏楽部に入れたのがやっとだった。

中学の成績も特にパッとしなかったけど、3年生の内申に影響しやすい時期のテストで奇跡的に上位に入り、高校受験はありがたく合格することができた。

ただ、高校に入ると同時に両親がかねてから会社経由で購入していた土地に家を建てた関係で東京→茨城に引っ越し。
私は毎日2時間かけて高校へ通った。朝5時に起きて学校へ行き、部活動の朝練をしてから授業。放課後は塾で帰宅は10時過ぎ・・・あはは、体力あってよかったぁ。

それでも、絶対に私立にはいかせない、浪人はだめ、その言葉は毎日のように聞かされていた。
ボディブローのようなプレッシャーは、基本楽観的な私にも次第に効いてきて、一時期は「私は受験に失敗したらきっと生きる意味がないんだ・・・」とまで考え込んでしまったこともあった。

最後のほうにはちょっと意地になって、「どうせ私立に行けないのなら滑り止めなんて受けても無駄だし、一つしか受けないから」と願書は一校にしか出さなかった。

志望校は直前の模試でもE判定という、無謀な挑戦だった。
当然、前期試験では、全然手応えもなく不合格。

後期試験までのたしか2週間くらいあったと思うのだけど、その時の家の暗さといったら、なかったなぁ。
母親は5分に1回ため息をつき、ことあるごとに「浪人するとこれだけお金がかかるんだから」といわれ・・・
ま、後期の競争率はかなりの倍率だから仕方ないのだけどね。
私はあきらめるというより、むしろ論文のテーマはこれが出るに違いない!と何故か決めつけていて図書館でそのテーマばかり調べていた。

・・・後期試験、論文のテーマはバッチリあたった・・・
そして他の科目も直前に解いたり練習したりしたものばかりで、久しぶりに手応えのある試験だった。

そして、奇跡的に合格。

この一連の体験は少し前までは、私にとって「よくない思い出」であり、両親、特に母親に対していろんな感情を抱く根源のようなものになっていたのだけど、先日受験のことを思い出して、その体験の捉え方が全く変わっていることに気がついた。

これは、私にとって、見守る、委ねることの大切さ、いや、それがベストなんだ、ということを教えてくれる素晴らしい体験だったのだな、と。

今は、毎日暗いうちに起きてお弁当を作り、駅まで送ってくれた母親に、何度も不本意な扱いを受けたのに愚痴も言わず勤め上げ、私を大学院までだしてくれた父親に、ただただ感謝の気持ちだけしか残っていない。

委ねる・・・よく言われていることだけど、自分や、特に身近な人に対して実践することは難しかったりする。

息子は歩くのも、話すのも遅かったし、今でも同じ年代の子と比べた場合、できないことがたくさんある。
でも、私の根底には「比較することは意味がない」という力強い確信があったので、周りがなんといおうとも、あまり気にしないでこれた。
(気にするフリはしたけれどね・・)

それは、このような私のいろんな体験から学んだことであり、だからこそ、はっきりとそのときの感情を思い出せるのだろう。

そんな息子は、いろんなことをちゃんと帳尻を合わせるようにできるようになってきている。

主人の皮膚の病気も未だに平行線だけど、私が明るく見守ろう、と決めてから主人自身の態度が変わってきている・・・ような気がする。

その人の力を信じて、見守ってあげること、そしてその人が意識的、無意識的に選択してきたことを尊重し、委ねてあげることは口うるさくいうよりきっと難しい。

きっと、これからたくさんの変化があり、そういう場面に遭遇すると思うけど、明るく、あたたかく、見守り、委ね、精一杯のエールを送り続けたいと思う。

いやぁ、また長くなってしまった・・
読んでくださってありがとうございます。