「女性」を受け入れる
「自由であること」に縛られて、かえって「不自由」になっている人が多い。
私が去年、西洋占星術の講座を受けた時に印象的だった、水瓶座の特徴。
うーん。水瓶座の私としては、笑ってしまうほど納得しちゃったのだ。
そうそう、物心ついたときから、いろんなことから自由でありたい、縛られたくない、と思っていた。
例えば、「女らしくしなさい」とか、「女の子なんだから」という言葉は本当に大嫌いだった。
女、男とか関係ないじゃん。女だからなんなの?
女の子だから・・って同じ人間じゃん。
こんな私が小学4年生の頃に書いた作文は「らしさについて」というもので、「女らしく」という言葉はおかしいと思います、と書いていた。。。
その後も。
大学は男性ばかりのところを選び、
化粧もほとんどせず、
スカートもはかず。。。
ま、そんな感じで青春時代を過ごしたのだ。
今思えば、自分の女性性を否定し、女性ということを一番差別していたのは、自分だった。
「女性ではなく、人間としてみてもらうようにすべきだ」ということに縛られてしまって、いろんな部分でもったいないことをしてきたなー、と思う。
スピリチュアルを意識したあたりから、女性性を受け入れることが課題なのはすぐに気がついた。
時間はかかったけど、受け入れる体制をとれるようになったとき、妊娠のタイミングがやってきた。
そして、その後も少しずつ、受け入れられているはずだけど、まだまだ自分の中で残っているな、と思う。
というのも。
先日、車検のために家族でホンダに行ってきたときのこと。
車は去年ちょっと収入があったので、私のお金で買った。そして、私の名義。
実際、車探しから、事務手続き、保険の手配まで全部私がやった。
でも。
担当者の人は、私の方をちらりともみないで、主人に向かって説明する。
本当に、存在を無視するくらいの態度なのだ。
だいぶ、こういう世間の対応というものに慣れてきたつもりだったけど、久しぶりに頭に血が上った。
どうして、女性というだけで、主婦というだけで、こういう扱いを受けなくてはならないのだろう。
仮にも世界進出をしているくらいの大企業の営業担当が、こういう態度をとるのだろう。
本当に、ちいさーなことなんだけど、憤りと悲しさの感情がぶわっと吹き出してきて、おさえられなくなってしまった。
ま、その時は主人に八つ当たりをしたのだけど。。
こういう感情は、クリーニングをする絶好の機会なんだろうけど、まだ、その場でクリーニングのことを思い出せるほど達観できていない。
こういうことも、笑って流せる余裕をもちたい。
そして、もっと女性であることを楽しみたいものだ。
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