あれから一年
つい先日も「原村に越してきて1年が・・・」と書いたけれど、わたしの人生にとって大きな転機となったもう一つのこと。
と殺場の見学に行ってから、1年がたった。
その時の記事はこちら
なんとなく肉を食べなくなって、でも完全にベジタリアンになることにちょっと迷っていたわたしに、それは決定的な軸を与えてくれた。
そして、自然とあそこで作られている皮を使った製品は持ちたいと思わなくなり、持ち物や衣服から革製品が消えた。
そして、魚ならいいかな・・・と思っていたのも徐々に変わっていき、ウール製品も大量生産品は辞めようと思うようになった。
ちょっと迷いそうな局面にくると、あのときの子牛のいやがっている姿、豚の悲痛な叫び声、そして人間にみえてくるようなつるされた姿・・・・あらゆるものがくっきりと脳裏に浮かび上がってきて、あの狂氣に満ちた選択をわたしが支持することはどうしてもできない、と思いをあらたにするのだった。
肉食産業は環境によくないから
肉食はカラダによくないから
そういう一面的な理由ではなく、ヴィーガンはライフスタイルとして、わたしの中にしっかりと軸を作ってくれた。
今、わたしはどうかというと、カラダもとても軽いし、思考もクリア。体調を崩すことはめったにない。
さらに、矛盾をかかえなくなったというところが氣持ち的にとても大きい。
動物をかわいがろうね、といいながら食べるなんて、わたしは子どもに教えられない。そういう矛盾ね。
植物も生きているよね、っていうところについては・・・
これはもう、感覚的な問題なのだと思う。
わたしは、自分自身で調理ができるものを、生きる糧としていただいていきたいと思う。
なんというかな。
ヴィーガンって、趣味でもないし、本当に「感性に正直になる」っていうライフスタイルなんだと思う。
本当に、昨年の経験に感謝。
そして、このライフスタイルを受け入れてくれる家族、友人達にあらためて感謝。
ディスカッション
コメント一覧
もし、人間皆がヴィーガン・ベジタリアンになったら、この世界はどんなに平和になるだろう・・・と思います。
一年間に何億かそれ以上の数の動物が虐殺されている・・・食用、革用、毛皮用、実験用、”不要になったペット”として・・・この波動が世界に影響を与えないはずがない。
「コンパニオン・アニマル」として、心から猫や犬などを可愛がっている一方(それはそれで素晴らしい事なのですが)牛や豚や鶏は食べるというのはね。
ただ、人間すべてがヴィーガンになったとしても、猫や犬は野菜のみでは無理かなあ。
人間は「動物の肉や魚類や卵や乳製品を食べなくても生きられる」事が十二分に証明されていますが、特に猫は肉食性だし、猫や犬用に魚を採るのは多分必要かな。それともヴィーガンの猫というのもいるんでしょうか。(世界は広いから存在するかもしれませんね)
ラリマーさんへ
おっしゃるとおりです。
と殺の見学に行ったとき、大量に使われる水、電氣にも驚きました。家畜として育てるために必要な飼料の量なども本当にびっくりです。それを食料にすれば何の問題もないですよね。
わたしは、「それを食べなければ命が続けられない」、という状況まで否定するつもりもないんです。なので猫ちゃんの肉食は自然界においてはそれはそれで自然なのかと思っています。(生物の連鎖ですよね)
人間についても、環境によっては肉を食べなければ生きていかれない地域もあると思います。それと、家畜産業は全く違うのであり、今のわたしのおかれた環境で、その選択をする必要は皆無なのではないかという考えです。
本当は、いずれ人間も肉体を持ったまま不食になって、もっともっと楽に変わっていったら良いな・・・と密かに妄想しております。
いつもコメントをありがとうございます!