先に答えを知ることによる波紋

こんにちは。八ヶ岳西麓・長野県原村の山の方は、先日雪がちらついてうっすら積もり

晩秋の余韻を楽しむすき間もなく、一氣に冬に突入なこの頃です。

 

先日、お友だちとの会話の中で、シェアしてもらった言葉があまりにもインパクトがあったのと、わたしが今、こういう道を選んでいることの再確認もできたのでここに書き留めておこうかと。

 

そのお友だちは数年前にご縁をいただいて、時々お話させてもらっているのです。

いわゆる「ガチなスピ能力」を持っていらっしゃる方で一度リーディングしてもらいましたが、あとあとも「おお・・これがそうか・・」というじわる的確な言葉をいただけました。

 

リーディングでなくても、何氣ない会話の中に氣づきをいただけるのです。

あ。ちなみにちょうど1年前、こういう氣づきをもらっていましたね。

「普通」であることが、おそらく今回の人生での大きなキーであろうことに氣がついた日

 

今、そのお友だちはリーディングをもうやらない宣言をして、丁寧な手仕事のワークショップなどで日常からのヒントをシェアしてくださっているのですが、あんなに能力があったのになぜやらない宣言をしたのかなっていう単純な疑問をぶつけてみたいと思いつつ、なんとなく理由もわかるような氣もしていたので、なかなか聞けなかったことを聞いてみました。

 

そこで、理由として説明してくれた言葉が、

 

おおお・・・

 

だったのです。具体的な言葉はここでは避けますが、いわゆる天啓を具体的な言葉にしてもらい、質問に対する「こたえ」にしてしまうことの危うさというか、影響について考えさせてもらう機会になりました。

 

わたし自身、むかーし、スピリチュアルジプシーになったきっかけは「霊視」だったんですよね。

なんでこの人は何も言ってないのにわたしのことをそこまでわかってくれるんだ、というところから一発ではまったんですよね。

で、ことあるごとに「こたえ」をそこに求めてしまう依存をしてしまった。

 

この、受験勉強もマニュアルも、「こたえ」をすぐ得られる環境で育ってきた現代の人たちにとって

リーディングというのはまさに、ほしいこたえを求められるツールになりうるものですね。

 

わたしがこたえを知ったあと、どうなったかというと・・・

知ったところでいい結果になったかというと、半々くらいですかね。

理不尽に思えて悲しくて悔しくて・・っていうことに対して「納得」することで次に進めるきっかけをいただいたこともありました。

それはとてもありがたかった。

でも、その「こたえ」に振り回されてしまったこともあった。

 

わたしは一時期チャネリング能力などの訓練もしましたが、

結局「自分で考えて答えをだし、行動に結び付けないと何も変わらない」という強い思いがあったので

占星術もタロットも、ヒューマンデザインも、すべてその人が知る、考えるきっかけになる方向として提供しています。

 

特性を知ったところで使わなければ意味がないし、使い方、使える場所、使った後のこと・・・それはもう、その人が経験して積み上げていくしかないのです。

 

なので、タロットもあてにいくことはなるべくやらないし、

出たカードからキーワードをひろい、状況とあわせて考え、依頼者さんとともに掘り下げていくような

そんな使い方をしています。

 

そういう意味で、わたしが選んだ方向はやっぱりそういうことだったんだなと

確認ができるとてもありがたい時間でした。