ナニモノでもいい、と思えた喜び

昨日の帰り道。ピンクにそまる八ヶ岳とお月様が美しかったのでした。

 

原村に住んで4年が過ぎ、直感で原村に決めてからは5年が過ぎました。

毎日、こういう景色に出会えて、本当に心からしあわせを感じています。

 

夕暮れ時の家の前。いつも素晴らしく美しいのです。

 

少し前から、久しぶりに自分はナニモノか?を確認するようなやりとりがありました。

 

久しぶりに、学歴を「すごい」といわれ、さらに「モッタイナイ」と言われたり

久しぶりに、高校の同窓会が開かれることになり、同級生とのやりとりをみてみたり。

 

わたしは、いわゆる「高学歴」の部類にはいるほうではありますが、

それが、果たしてわたしにとってしあわせだったのかというと、よくわかりません。

 

この学歴のおかげで、いろんな場面で人よりも多くのチャンスをいただけたことは事実と思いますし、わたしにとって、この学歴をとりにいき、自分のやりたいことを見失う→自分探しをすることでたくさんの出会いがある

 

というプロセスは、とても必要であったことは自覚しているのです。

 

で、ほんの少し前までは、「学歴があるのに、おもしろい道を歩んでいる自分」というキャラ設定?が自分のアイデンティティのような氣がして、そこに固執していたように思います。

 

とにかく、個性的でありたい

 

それは、裏を返すと、わたしという個人を認めてもらいたい、必要とされたい、そういう根強い欲求がわたしのなかにあるということなんですよね。

 

・・・ただ、今回、わたしはそういうモッタイナイ、と言われたことをどう感じたかというと

 

わたしにとって、そこは一つの事実でしかなく、今はわたしにとって、それは持っている携帯ケースの色くらいの意味しかもたないというか、事実ではあるけど、重要ではないものだな、と思ったわけです。

 

そして、わたしはいったい何をやっているのかな、と20数年ぶりに会うかもしれない友人に説明することを考えたとき、

「特に何も、必要ないな」と思えたわけです。

 

わたしは、ナニモノでもなくていいや、それで充分だ、と。

 

以前だったら、ああいうこともして、こういうこともして、キャリアの道をはずれて田舎に住んでいるけど、すっごく充実しているよ!

という要素を必ずいれたくなったはずなのです。

 

でも、そこはもう、心底いらないなーと思えたのでした。

 

うん。すごく、わたしは楽になった。変わった。

 

ここの部分で、何もモヤモヤがでなくなったことに、わたし自身、とても変化を感じられたのでした。

変わったなぁ、わたし。

 

よかったなぁ、わたし。

 

大いなる喜びとともに、とてもあたたかい氣持ちになっています。

 

土曜日に、ポコポキーノさんでお祝いしてもらいました。

ヴィーガンタルト。おいしかったなー

 

日曜日には、ダンシ3人で手作りケーキを作ってくれました。

米粉のスポンジ、豆乳クリーム。そしてそれがわからないくらいのフルーツもりもり(笑)

 

しあわせですね。