最初の妊娠のこと

2019年2月11日

実は、わたしは子どもは2人ですが4回妊娠しています。

最初→稽留流産

2回目→長男

3回目→子宮外妊娠

4回目→次男

 

という感じ。特に最初の流産は、本当につらくて立ち直るのに半年以上かかったのですが、

昨夜、長男に「赤ちゃんの時どうだったか宿題で教えてもらわないといけないのー」と言われ、昔の自分だけのブログをたどっていたら

久しぶりにその時のことをまとめた内容をみつけたので・・・

 

これは、わたしにとってスピリチュアリティを学ぶ最初のきっかけとなり、

夫への愛情を確認した出来事だったのでした(←こっちはすっかり忘れていた)

 

もうすぐ書いてから10年前。振り返ると大いなる流れではあったのですが、

渦中にいるとキツイもの。命にかかわることはいつだって大きな学びをもたらしてくれます。

(以下、長いですが、その時のブログです。)

 

あかちゃんへ
初めて妊娠がわかったのは2006年7月。
あまりに嬉しくて二人で早々に名前を考えた。
姓名判断で一番良かった少し古風な名前を、
二人でおなかに呼びかけていました。
結局、会うことはできなかったけど、
君のおかげで、私たちは夫婦の絆を深め、
子供への愛情を確認し、親になる覚悟ができたのだと感謝しています。
なんだかんだ、1年かかったけど、ようやく立ち直れそうです。
あなたとの出来事をまとめることで、次へ進もうと思い、
あえて悲しいことを書いておきます。
私が、本当にあなたを愛した証でもあるのだから。。

 

ちょうど1年前、7月下旬。

青山のある産婦人科で初めての妊娠が確認された。

 

私は生理周期が本当に正確。ばっちり28日周期なのだ。

なので、1日遅れるとおかしいな、まさか、ってわかってしまう。

結婚して1ヵ月後、早くも「おかしいな」があらわれた。

 

初めて妊娠検査薬なるものを購入し、使ってみる。

説明書には「生理予定日から1週間後に使用のこと」と書いてあったけど、

3日くらいで試しに使ってみた。結果はみるみるうちに陽性。

数日後、ピルを買っていた産婦人科で診察を受ける。

 

「おめでたですね。これが赤ちゃんの袋だよ」

 

本当だ、小さな丸い袋みたいなのが見える。

そして、流産防止というクスリを処方してもらった。

 

その頃、私にはろくな知識もなかったので、ただただ嬉しくって舞い上がっていた。

 

早速夫にメールし、母へも連絡。夫も義母へ連絡したみたい。

会社の廊下で偶然会った夫は本当にうれしそうで、

それを見て私はすごくうれしくなった。

ああ、なんて幸せなんだろう、って感じた。

(当時、同じ会社に勤めていました)

 

その後、出産ダイアリーを買ったり、出産の本を買ったり。。

自分でも驚くくらい、うきうきしながら準備を進めていった。

気の早い両親はもうお祝いの食事をセッティングしてくれた。

万事、順調のように思えた。

 

2週間後の、診察。

今思えばこの時期は本当に忙しくて、

いつ、心拍が確認できるべきなのか、など出産の情報は、まるで得ていなかった。

ただ、先生の言葉だけを待っている受身だった。

 

「うーん、ちょっと成長が遅いかなあ。。また10日後にきてください」

 

と言われたけれど、さして不安にも思わなかった。

そっか、成長遅いんだ。忙しいしな。。くらい。

思えばこのタイミングで7週。

本来であれば心拍確認と赤ちゃんの姿が見えていい時期だ。

 

そして、10日後の診察。まさかの言葉を言われた。

 

「うーん、本当なら赤ちゃんが見えてもいいんだけど、
見えないんだよね。
ここだけではなんともいえないから、
念のため大きな病院で見てもらおうか」

 

え?

 

それって。。。流産ってこと?

でも、まだ望みはあるんでしょうか?

 

 

私は信じられない思いだった。

だって、まだおなかしくしくしてるし、

出血もないし、流産どめの薬も飲んでたよ。

そんなことない、そんなことない。。

 

 

急に目の前が真っ暗になった感じだった。

8月22日、広尾の大きな病院へ行った。

ここの産婦人科は結構評判が良く、

会社の人もここで産んでいたし、

私もここでお世話になるかもな、と思っていた病院。

 

ここだったら超音波の性能も今行っている産婦人科よりもいいかもしれないし、

もしかしたらあの時は赤ちゃんが隠れてて見えないのかもしれないし。。

 

募る不安を必死でかき消しながら、夫に直前まで付き合ってもらう。

結構待たされて診察へ。

 

私の期待を裏切って、診察は驚くほど早く終わった。

終わるなり先生の一言。

「はい、流産ですね。」

 

・・・!

 

え?もっとちゃんと見てよ、いるかもしれないじゃん。

私は声を振り絞って「・・・流産・・ですか?」

というのが精一杯だった。

 

そして、私の診察カルテには繋留流産というゴム印が押されていく。

「初期にはよくあるんですよ、まあ、仕方ないと思ってください。」

あまりにもあっさりとした口ぶりと、なんの思いやりもない言葉に、

私は震えを抑えて着替えるのがやっとだった。

 

絶望。

合格発表で名前がなかったときも、こんな思いをしたことはなかった。

人生で初めて味わう、絶望感だった。

 

カルテを受け取るまでに待合室で座っている間、涙が出てきた。

こういう結果になってしまったこと、

思いやりのない先生の態度、

無精に悲しかった。涙は止まらない。

 

 

見かねた女性スタッフが、話をする?

ということで別室へ連れて行ってくれた。

女性スタッフは初期の流産は赤ちゃんの異常で起こることだから、

仕方ないことなのよ、と説明してくれた。

 

 

私は、涙を流しながら

「でも、あんな言い方しなくても。。」

というのが精一杯だった。

 

一方で、ここで泣いていても拉致があかないことは理解していたので、

がんばって早々に引き上げてきた。

 

病院の待合室で大きなおなかを抱える幸せそうな妊婦さんたちが

本当に、本当にうらやましかった。そして初めて妬ましいとも思った。

そんな気持ちを持った自分がいやだった。

 

 

結局、私はその先生の言葉を受け入れられず、

いつもの産婦人科に行く気にもなれず、そのまま1週間をすごした。

1週間したら、もう一回行って、見てもらおう。育っているはずだから。

 

家では横になって夫とおなかをさすりながら話しかけた。

一生懸命話しかけた。お祈りもした。

もう、それしかできることはなかった。

 

でも、8月の最後に現実を見せ付けられた。

突然、激しい腹痛に襲われ、トイレにいくと大量の出血。

ものすごい痛みとともに、どばっといろんなものが出てきた。

血の塊の中に「ああ、これが赤ちゃんになろうとしていたものなのかな」と思われるものもあった。

 

あまりの痛さと、本当にこれでだめになった、という確信で

泣きながらトイレでもがいた。

激痛で夜も眠れず、夫はずっとおなかをさすってくれていた。

これが出産の痛みに近いものなのかな、と朦朧とする意識で思った。

 

でも、この痛みは出産じゃない。

この事実だけが私の目の前に突きつけられ、痛みと悲しみだけが残った。

 

ちょうど夏休みをとっていたこと、

引越しの前日で、母がきてくれていたことが不幸中の幸いだった。

病院へ行ったら「絶対安静」と言われた。残留物がなかったのがせめてもの救いらしい。

絶対安静とは食事もベッドでし、トイレ以外動かない、ということ。

 

人生初の絶対安静。

 

私は1日寝たきりになった。そのまま、引越しは行われた。

私は何もできずスペースで寝ているだけの無用の長物になってしまった。

 

夫と母のがんばりで無事、引越しを終えることができた。

その後、しばらくは夜、ひとりになると、涙があふれてきた。

 

あかちゃん、ごめんね。

私が仕事ばっかりしてたから。。

私が食事おろそかにしてたから。。

私の気持ちが足りなかったから。。

 

ひたすら自分を責めた。

いくら母体の責任ではないとはいっても、

この現実に直面した女性は多かれ少なかれ、

同じように自分を責めるのではないかと思う。

特に、仕事をしている女性だったら、なおさらだ。

そして、私も例外ではなかったのだ。

この傷は自分で自覚しているより深かった。

 

そんなとき、夫は優しかった。

引越しの準備は徹夜で全部やってくれたし、

落ち込む私を優しく慰めてくれた。

「あかちゃんは、またきてくれるよ」と。

 

5年間付き合って結婚したから、わかっていたつもりだったけど、

夫の深い愛情を感じ、私は本当にありがたかった。

 

今思うと、この人と一生をともにしていくんだ、という腹のくくりは

実はここでできたのだと思う。

 

結局、なんだかんだ半年は気持ちが落ち込んだまま過ごしたけれど、
夫への愛情はその分深くなった。

どこかで、

「いやなことがあったら別れればいい」

と甘えがあった私だけど、

この一件で、そんな思いは吹っ飛んだ。

どんなことがあっても、私は夫と共にしよう。

本当は、結婚する時に決意することなんだろうけど、

私はこの件のおかげで、迷いなく、そう思うことができたのだ。

 

1年たった今、

あの件は私達夫婦の絆を深めるために必要な試練だったんだ、

と理解している。
そして、今、私の心は1年前と比べ物にならないほど、穏やかになった。
ありがとう、あかちゃん。