時には飛び込んでみることも

私はここ数年、極力自分自身の心の声、ハートの声に耳を傾け、自分が本当にやりたいのか、進めたいのかを今までの「常識」を考慮せずに選択するよう心がけてきた。

おかげで、今はとっても楽しいし、幸せだ
悩みがないのが悩みです、みたいな感じ

ふと、それは今まであまりにも長く心の声に耳を傾けてあげなかった私にとってのリハビリだったように思った。

そろそろ、基礎から応用にいってみようかなぁとなんとなく思う今日この頃。

って何が応用なのか、わからないところが・・・なのだけど

私がかつてスキーのインストラクターのバイトをしていたとき、超初心者にはまず片足加重に集中するように教えてきた。

まずはスキー板の操縦をすることを覚えないと先に進めないからね。

でも、スキーをいろんな局面で滑らせていくためには、片足加重にこだわっていてはできない場面もたくさんでてくる。
両足でバランスをとったり、崩したバランスをうまくリカバリーしたり。
同じ条件の雪面は二つとないから。

ちなみに頑固一徹の私は、かなり長い間片足加重を誠実に守り、どんな急斜面でもキッチリボーゲンで降りてくる、という競技スキー部の中では異端児(お荷物?)だった・・・

そう、ハートの声に耳を傾け従うのは自分がワクワクして過ごす、自分自身が望んだ道を歩いていく基礎中の基礎。

で、私が応用したいな、と思っているのは・・・
時には偶然のようにみえる共時性のような、身におこることを優先させてみるということ。

例えば、選択をしようとしているとき、ハートに聞いてみる・・・
よくわからない・・・どっちでもいいようなよくないような・・・
あーわかんない

って時もやっぱりある。

そういうときは、身におこってくることに委ねてみる。
これは比較的簡単にできる。

でも、この場合は難しい。
例えば、何度ハートに聞いても気が乗らない、ものすごく嫌なわけではないのだけど、なーんか、モヤっとしている。でも、明らかに周りがそういう流れを運んできている。

うーん、これは、どうすべきか?
スピリットガイドさんに委ねちゃえばーって思うのだけど、実際に選択という行為は自分でしなくてはいけないからね。

ちょっと前の私だったら「やっぱりハートを優先せねば!!」と頑固一徹ハートの声を守り通していたに違いないのだ。

先日、最近仲良くなったママ友さんから、大規模なママ集まりに誘われた。

即座に「うわ、いきたくなーい。大人数なんて苦手だしー」と拒否しまくる心の声。何度聞いても「いやだ」「やめたほうがいい」という答えが返ってくる。

でも、なんとなく、いやだ、という思いのわき上がる場所が違うような感覚もあり・・なんというか、浅いところのような感覚ね。

そして、結局はどんどん周りが固められ、参加することになってしまった。

でもまあ、やっぱりね・・・気分は上がらず、半分いやだな、半分楽しみ、みたいな微妙な心境は変わらず。

結果は・・・大人数のママさん団体が自分は苦手だな、という認識をあらたにしたのだけど、誘ってくれたママ友さんとはたくさんお話ができたし、また一歩、仲良くなれた。当日はグダグダ後悔しそうになったけど、やっぱり結果としては行ってよかったと思う。

こういうのを経験して思うのは、

エゴの声とハートの声、区別が非常に難しいときがある

ということ。特に、自分が苦手意識を持っていたり、逆に成功パターンをもっていたりすることに関してはね。

なので、区別がつかないときは声をきくのをやめて、委ねて飛び込んでしまう、これもありかな、と思うのだ。

あれ?全然応用じゃないかな・・・ハートの声を常に感じられればそんな必要はないのよね。ただ、それがなかなか難しいこともあるってことで。

ま、いいか。もう寝ようっと。