フツーということ

最近、なんだかゲームのように試されているな、と感じる出来事が多い。
先日のイライラもそうだし、細かいことだけどいろいろと。
そして私が、「ほら、こうなんでしょ?」とか「うりゃ、これでどうだ!」みたいな返しをすると(誰に?て感じだけど)「はい、正解」と言わんばかりに物事が終結していく。
今までの修行っぽい感じとは全く違ってクリアしていくゲームのようで楽しい。
先週の土曜日も、そんな感じだった。
半年ぶりに高校の友人とランチをした。
彼女とは高校時代は仲良くしていたのだけど、大学生になってから音信不通になり、つい最近mixiで連絡を取り合うようになったというご縁。
半年前には長い司法試験の勉強に区切りをつけた彼女。
ちょっとしたきっかけで、彼女の就職対策について少し尽力した。結果としてうまくいって、今は立派な会社員をやっている。
ただ、彼女と会う時はちょっとだけ身構える。
なんといっても人への評価、批判が半端なくでてくるからだ。
彼女は帰国子女だし、とても頭がいいし、ついつい上目線になってしまうのもわからなくはないけれど、聞いているほうは結構しんどい。
3つの話題に対し、1つの割合で私は少したしなめるというか、「こういう見方をしたらこの人もよく見えるかもよ?」ということで口を挟む。
まあ、たいていの場合は聞いてほしいだけであって、アドバイスは求めていないから無駄だとわかってはいても・・ね。私もまだまだ青さが残っているということだ。
そこで、先日彼女に連呼されたのは、
Miyoってほんと、フツーだよね。
旦那さんもフツーなんでしょ。
私や私の周りなんか個性的な帰国子女ばかりだから、ほんと、困っちゃう!
って言葉。うーん。2時間くらいの間に5、6回は言われたかな
この「フツー」って言葉、少し前までの私にはものすごくこたえる言葉だった。
水瓶座だからか(?)昔から人には個性=意外性が必要だと信じて疑わなかった私。
フツーと言われるのが心底いやで、常にどうやったら人から「うわ、Miyoってそうなのー?意外!!」って言われるかに力を使ってきたように思う。
とはいえ、意外性なんてたくさん作れはしないので、特段結果は出せなかったけど、自分が人からどう見られるかは無意識に考え、キャラ作りをし、それをし続けた結果、自分は本当はどうしたいのかがわからなくなっていた。
常に、選択の動機は外にあった。
この部活ならかっこいい!意外だと思われる。
みたいな。
この自分のワクワクを見失っていたことに気がついた時、本当に苦しくて苦しくて、受験戦争に我が子を放り込んだ親のせいにしたり、いろいろ悩んでみたけれど結局は自分だったんだよね。
私がそういう傾向にありやすい個性を選んで生まれてきただけであって。
(見事に四柱推命のいたる部分に比肩がある)
そして、その傾向に気がついて転換することができたから、今は本当に楽になった。
だから、彼女からフツーを連呼されても、本当になーーんにも感じなかった。
そっかー。彼女にはそう見えるのか。なるほどねー、くらい。
うん、きっとこの部分もクリアなんだ
そう思える体験ができただけで、彼女と会った時間に感謝することができた。
さすがに、ちょっぴり頭痛がしたのでまだまだ完全ではなさそうだけどね。