クリーニングとイメージング

2019年2月11日

今日は、新しい仕事(まだボランティアかな)の打ち合わせに行ってきた。
先輩が手がけている仕事はいくつかあって、いろいろ話を聞いていると、どれもいわゆる「人間関係」でもう一歩のところでうまくいっていないみたい。
先輩は頭はいいし、事業の発想も素晴らしいのだけど、いかんせん毒舌だし、人を褒めることが得意でないみたい。
これが、身内だけならともかく、取引先だとか商談相手にもそうなっちゃうから、こじれちゃってるらしい。
と、先輩自身も自覚しているようなんだけど、どうも「自分は変えられないから」とのこと。
で、私にはそこらへんを「ほぐして」「いい方向に動かす」ような役割をしてほしいみたいだ。
うーん。
今まで営業もしたことないし、前職で「堅い」人たち相手にいろんなトークの経験は積んできたけど、以前であれば最も苦手な分野に入ることが、私にできるのだろうか。
さらに、私もどちらかというと、とっつきやすいタイプでは全くないと思う。
ただ、なぜか先輩は、私に久しぶりに会って、話して、そこを期待できるとふんだらしい。
そして、私も不思議と「やってみようかな」とちょっぴり思ってしまっている。
ま、なるようにしかならないから、とりあえずやりながら迷ってみるかな。
新しい分野を経験する機会が得られることは、とてもありがたいことだし。
で、いろんな事業のことについてディスカッションをしているときに、思ったこと。
『ウニヒピリ』では、ビジネスでさえもクリーニングの機会だという。
きちんとクリーニングすることが、物事がうまく運ぶ重要なことなのだと。
でも、これって実際はすごく難しい。
いろんなことを真剣に想定しながら考えている時に、クリーニングなんて思い出せない。
先輩との打ち合わせにいく前までは、その場所のことや、人、についてクリーニングをしてから臨んだのだけど、あらためて難しさを感じた。
さらに。
レイキなどで学んだ「イメージング」「願望達成」について疑問がでてきてしまった。
これって、クリーニングとはどういう関係になるのだろう。
例えば、どんな仕事でも、こうすればうまくいくかもしれない、ということを、考えて具体的な行動を決めていく。
そこで、わき上がるイメージやアイディアはクリーニングすべきなのだろうか。
それとも、そこで浮かぶ「感情」をクリーニングするのかな。
レイキの願望達成も、具体的にイメージしたあとは「手放して任せる」ということだから、そこに近いのかしら。
きっと、ゼロの状態であれば、自然にインスピレーションがおりてくるから、そもそものイメージングなんて必要ないのかな。
仕事の時は、どうしても、あれこれ想定して、「うまくいくためのイメージング」をしてしまうから。
ゼロという感覚からはほど遠くなってしまう。
うう、ちょっと混乱中。
本で読んだ時は、「なるほど、そうなのねー」と思っていたけれど、実際、こういう状況を目の前にするとわからなくなっちゃうなー。
今まで、イメージングを自然にやることで、ほとんどの仕事はうまく運べてきたという経験もジャマしているのかな、と。
これは、あらたな勉強の機会なのかもしれないな。
ちなみに、今日打ち合わせに同席した人は、私にはかなり「若くて調子に乗っている失礼な人」だったのだけど、そこはがんばってクリーニングした。
やっぱり、ビジネスの場合は、普段の生活とは違うクリーニング姿勢が必要なのかもしれない。
実践あるのみ。