あれから7年。

2019年2月11日

昨日は、3月11日でしたね。

 

東京のタワーマンションの高層階に住んでいたわたしたちは、

さいわい、家族全員、それぞれが違う場所にいましたが、

特に何も被害がなく、すぐに家族全員そろうことができました。

 

車か電車か、ガソリンをいれるか、どちらの道を選ぶか・・・

いろんなことが、今思えば「誰かの采配」ともいうべき、完璧な采配で、

おかげさま、という言葉を身にしみたのもあの日でした。

 

そして、自分が学んできたスピリチュアルという分野において、

 

「すべてが決められたこと」のような言葉が、なんと軽く、薄っぺらいのだろう

当たり前と思っている日常が、どれほど奇跡に満ちあふれているのだろう

 

そういうことを、強く感じざるを得ない日でもありました。

 

あの日、保育園へ30分遅れで長男を迎えに行って(それでも一番早いお迎えだった)

不安な表情の先生達に、「この子たちがとても冷静で助けられました・・」という話を聞き、

長男と一緒に10分ほど歩いてマンションに到着するとロビーがごったがえしていました。

 

300世帯ほど住人がいる大型マンションで、タワー塔に住んでいたわたしたちは、

エレベーターが点検のため運転を見合わせていること、そして点検業者が大渋滞に巻き込まれいつ到着するかわからないことを知りました。

 

不安な空氣でいっぱいなロビーをみて、わたしは「ここにいるのはよくないなー」と直感で思いましたが、

疲れているであろう長男に、「どうする?ここで待つ?それとも階段で上にあがる?」と聞いたのでした。

 

長男は、迷わず笑顔で「階段でかえろう!」と答え、暗い中、非常階段を黙々と歩き出したのでした。

同じような考えの人達も一緒に昇っていて、みんな不安そうでした。

そんななか、長男は自作の歌を楽しそうに歌い、楽しそうに昇っていて

周りの空氣をとても和やかなものにしていました。

 

29階だての建物の、28階まで昇らなくてはならず、両手にはたくさんの荷物を抱えていたわたしは

いつ「つかれたー、だっこー」と言われるか氣が氣ではなかったのですが、

なんと、2歳11ヵ月の彼は、1度もそのようなことを言わず、昇りきったのでした・・・

 

 

あれから7年。

相変わらずマイペースだし、

これはさすがになおさないと社会にでられない!というところが多々あるので

ついつい口うるさくなってしまう日々ですが、

長男が持っているこの、リラックスした愛というのは、

やっぱりこれからも大切にしていってもらいたいなと思うのです。

 

そして、たくさんのことを感じ、考え、行動をしてきて

今、わたしたちは八ヶ岳の西麓に住まわせてもらっています。

 

結局は、やれることをやるしかない、というところに戻ってくるのですが、

この、根底にある感謝の氣持ちを忘れずに、与えられた生を生き抜こうと思います。